【自己愛性パーソナリティ障害】『ネトウヨ』と『リベラル』の考察⑧【防衛機制】

✻【自己愛性パーソナリティ障害】虐待の連鎖【防衛機制】

嘘と真実の区別がつかない。反省できない。すぐ人のせいにする。
いつも口先だけ。言っていることと、やっていることが違う。

その精神構造はどうなっているのだろうか?どこから来ているのだろうか?

防衛機制

人は、嫌な経験、辛い体験をしたとき、そして、それに心(脳)が耐えきれなくなったとき、どうなるか?

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例えば、虐待について考えてみる。
人は虐待を受けているとき、どういう心理的メカニズムが働くだろうか?どういう防衛機制が働くだろうか?
(【防衛機制】とは、危険や困難に直面した場合、受け入れがたい苦痛・状況にさらされた場合に、それによる不安や体験を減弱させるために無意識に作用する心理的なメカニズムのこと)

①分裂 自分や他人に対して、良い部分と悪い部分が別のものとして切り離す。分裂が起こると、自分や他人の良い部分と悪い部分の両方をあわせ、全体として捉えることができない。自分や他人の良い面と悪い面を分裂させ、1人の人間として見れない。善か悪か、敵か味方かのどちらかしかない。自分の悪い部分は、対人関係において他人へ投影されることがある。
→『褒められている』良い(美しい)自分と、『虐待されている』悪い(醜い)自分に分裂させる。

②分離 受け入れられないような出来事に対して、感情を切り離す。自分の感情と、起きた出来事を切り離す。例えばひどい目に遭ったのに事件や事故のことを淡々と話す。辛い経験を、まるで他人事のように話す。感情を麻痺させる。親から虐待されている子供が明るい振る舞いをすることなど。
→その苦しみから逃れるために、感情(苦しみ・悲しみ・辛さ)感覚(痛み・空腹)と、行為(叩かれている・放ったらかしにされている)や出来事(虐待)を分離させる。つまり、感情や感覚を麻痺させる。

③解離 『分離』は[感情や衝動]を、[出来事・行為]と切り離す、のに対し、『解離』は[感情や衝動や出来事]から、[自分]を分離させる。この出来事を自分が体験したわけではない、というのが解離の特徴。記憶がなくなる。多重人格。
→虐待されている辛い自分を切り離す。虐待されている別の人格を作り出す。虐待されている記憶がなくなる。 トラウマを体験している間、恐怖や痛みを感じなかった(感情・身体感覚の解離)、途中から記憶がない(健忘)、身体が金縛りにあったように動かなくなった(転換症状)、自分の魂が抜け出て虐待されている自分をそばから見ていた(離人症状)など。

④否認 受け入れられないような出来事に対して、現実に起きた出来事として知覚してはいるものの、その事実を認めたくないという思考が同時に働き、分裂状態になる。そして、分裂を強化するために、不安や苦痛な体験や出来事から目をそらし、なかったことにし認めない。見ない振りをする。分裂を強化するため、客観的な事実を認めない。分裂したどちらかの部分しか見ない。
→自分が虐待されているという事実を否認する。まるで他人が虐待されているかのような、自分とは関係ないものとして捉える。「自分は愛されている」「自分は正しい」「自分は美しい」と思い込む。

⑤抑圧 トラウマなどの苦痛な経験や感情や記憶を意識から閉め出し、無意識の中に封じ込め忘れようとする。思い出そうとしても思い出せなかったり、そのきっかけとなる出来事自体は忘れていても、何かの折りに触れて感情や思考、イメージだけがよみがえることがある。
→虐待されているという事実を押し込める。なかったことにする。そして、自分は愛されているんだと思い込む。

・・・・補足・・・・・

⑥投影性同一視 『分裂』の防衛機制がはたらきながら起こる。自分の中の悪い部分(ずるさ・汚さ・醜さ・過ち・非・欠点・失敗・弱さ・憎しみ・怒りなど)が受け入れられず、相手の中に見出し(投影)、それが相手を支配していると感じる。自分が分裂させた悪い面を、あたかも相手が持っているかのようにふるまい、操作・コントロールしようとする。

そうして成長した子供は、どんな大人になるか?どんな親になるだろうか?

虐待の連鎖

虐待する親の心理

①子どもとの距離がわからない。自分の所有物のように感じる。
自分が尊重されたことがないので、子どもの意思を尊重できない。親や世間の目を常に意識し、それに応えることに、自分の存在意義を見出してきたので、子どもにも同じような行動を求める。子どもが、思い通りに動かないと、また自己主張をすると、怒り出す。

②白黒思考。二元論でしか考えられない。物事を捉えられない。『溺愛』と『虐待』。『善』か『悪』。『敵』か『味方』。両極端に走る。

③人間関係を「横」ではなく「縦」の関係性でしか捉えられない。子どもを人間という同等の生き物としてみていない。「(体罰・暴力・経済力)で子どもを支配していい」と思い込んでしまう。権威への『隷属』と反抗者(自立者)への『虐待・体罰・強制』
権威(自分)への『隷属』=正義。権威(自分)への『反抗(自立)』=悪。

④自分が、何をやっているのか分からない。『虐待』しているという感覚がない。あるいは『虐待』だと認識していても「これはしつけのための行動だ」「自分は正しい」「子供のためだ」と行動を正当化する。「子供は叩き続けなければ悪くなる」、麻痺してしまっている。自省能力の崩壊。

⑤子どもが、どう思っているのか、感じているのか、分からない。このまま叩き続けたらどうなるか?共感能力の崩壊。想像力の崩壊。

⑥暴力の肯定。悪いから叩かれているんだ。悪いやつは叩かれて当然。子供が悪いことをしたから叩いた。躾のつもりだった。子供が、叩かれて当然の行為をした。自分は間違っていない。尊厳の崩壊。

よく事件で、「犯人は反省していない」と言うマスコミ報道を聞く。
相手に責任をなすりつけ、相手を非難することで、自分の行動を正当化し、自分の罪を軽くしようとする。それは程度の差はあれ、『自己愛性パーソナリティ障害』の症状とも言える。

【3歳女児放置死】害母も虐待されていた!「8歳で両親が逮捕」3歳女児放置死は“負の連鎖”が生んだ悲劇か 「文春オンライン」特集班

梯(容疑者)は8歳の時に母親から『身の回りのことをキチンとしない』などの理由で平手で殴られ全治2週間の怪我を負わされています。あばらや腰の骨が浮き出てるほどやせ細り、食事を十分に取っていない状態だった。県警は『緊急事態』と判断し、母親は傷害と保護責任者遺棄、父親は保護責任者遺棄の容疑で逮捕した。

そうした虐待を実母からも受けていながらも、梯は母親に対し複雑な愛情を持っていたようだ。
中学時代の同級生は「お父さんについては聞いたことがありませんが、お母さんのことは『ウチのお母さんは可愛い。仲がいい』みたいなことを話していて、母親との仲は良さそうでした。ですから(梯が)虐待を受けていたことは全く知りませんでした」

虐待の連鎖——。思い出されるのは、2010年7月に起きた“大阪2歳児放置死事件”だ。

大阪市西区のマンションで3歳女児と1歳9か月の男児が餓死するといった事件が起きた。逮捕されたのは当時23歳だった風俗店勤務の女性。女性は男性と遊びたいがために子供が部屋から出られないように扉に粘着テープを張るなどして1カ月間以上放置し、餓死させたとして死体遺棄、殺人容疑で逮捕、起訴された。

 この女性は自身が5歳の頃に、夜間に不衛生な部屋に置き去りにされるといったネグレクトを受けていたことが明らかになっている。杉山春が書いた「ルポ 虐待——大阪二児置き去り死事件」(ちくま新書)は、いかにして虐待が世代を超えて繰り返されるのかに迫っている。
あおり運転、被告「何倍にもやり返してしまった」…初公判で起訴事実認める(読売新聞)
宮崎被告は「被害者の車が進路を妨害してきたと感じて腹を立て、犯行に及んだ」と主張。
「嫌な思いになることを(相手に)わかってほしかった。何倍にもやり返してしまった」と述べた。
「殺したかった。神様になりたかった」暴走車で突っ込み3人死傷…(FNN)
調べに対し青野容疑者は「殺したかった。神様になりたかった」などと供述。

自分は正しい。自分は悪くない。
相手のほうが悪い。相手の方に原因がある。

いじめられる方にも問題がある。レイプされる方にも問題がある。差別される方にも問題がある。誹謗中傷。強者視点。弱者攻撃。被害者攻撃。権力者視点。奴隷根性。人権運動・労働運動批判。ヘイトスピーチ。

その思考はどこから来ているのか?

『顕在意識』と『潜在意識』

人間の意識は、いくつかに分けられる。それはどういうものか?フロイト以来、精神学者によって、時代によって、問題意識によって、様々な説が唱えられてきた。
それらを参考に、『一般的な人間』と、『自己愛性パーソナリティ障害』の意識・思考の違いを、自分の理解した範囲で図式化してみた。

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まず顕在意識と潜在意識があるとされる。

顕在意識····普段認識することができる意識。論理的な思考・理性・知性・判断力を指す。言葉にできる意識。思考を支配
潜在意識····普段認識することができない意識。『無意識』と呼ばれ、感情・感覚・直感・記憶・本能的な欲求を指す。行動を支配

一般的な人間の場合、常に過去の経験・体験に照らし合わせ、同じ過ちを繰り返さないように、失敗しないように、嫌な思いをしなくて済むように、どう行動すべきか考え、決定し、行動に移す。

しかし、その2つの意識の間にはしばしば対立が起こり、不都合を引き起こす。無意識の引き起こす行動・暴走を制御できなくなる。

例えば、「タバコは体に悪い」「酒の飲み過ぎは、身体に悪い」と頭では分かっているのに、やめられない。
「勉強しなければならない」と分かっているのに、思っているのに、綿密に計画を立てたのに、できない。
「学校に行かなければならない」と思っているのに、行けない。身体が拒否反応を起こして、具合が悪くなってしまう。
犯罪だと認識していながら、万引きや痴漢などを衝動的に繰り返す(行動依存症)。

「体罰・虐待はいけない」と思っていても、ついイライラして、衝動的に手が出てしまう。子供がなぜそういう行動をとっているのか、考えられない。これも依存だろう。

それらは顕在意識と、潜在意識の間に、ある種のフィルターがかかっていると言っていいだろう。

(参考図)

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行動依存症の認知特性を解明 -なぜ行動依存症はリスクを犯すのか-(京都大学HPより)

言っていることと、やっていることが違う。虚実と真実の区別がつかない。嘘を本当だと思い込んでいる。自分がやっていることを、客観的に認識できない。

それは、カルト信者が、「自分たちは洗脳されていない。批判する者たちこそ悪魔に操られている」と主張するのと同じ。裏では、人を騙し、傷つけ、あるいは殺人を犯していながら、平気で「自分たちこそ正義で、世界を救う」「何者かが、自分たちを陥れようとしている」、と嘯き、自己正当化する。教祖への隷従と、批判者・脱落者を攻撃することに、自分の存在意義を見出している。

それは、顕在意識と潜在意識の間にフィルターがあり、無意識の内に認識を選別している。ある意味それが洗脳されている証拠と言える。

つまり洗脳とは、強いストレスを与え続けて、不協和を起こさせ、意識(脳)に分裂を起こさせること。顕在意識と潜在意識の間に[フィルター]をかけ、そして万能感を感じさせ、組織(教祖)への同一化をはかること。自己肯定感・自省心・共感力・想像力・自立心をつぶし、教祖(組織)のために『死ぬこと』、そして『殺すこと』の恐怖を取り除き=感じさせないようにし=麻痺させ、組織の奴隷として動き、死ぬことを厭わない兵隊を作ること。
それが『愛国心』の正体。それが『ネトウヨ』····

✻『ネトウヨ』と『リベラル』の意識(思考回路)の違い

『ネトウヨ』は自分が「ネトウヨ」と言われることを嫌う。「ファシスト(全体主義者)」「レイシスト(人種差別主義者)」と言われることを嫌う。逆に批判者(リベラル)こそ、差別主義者だ、全体主義者だ、と批判する。

『ネトウヨ(ナルシシスト)』と『リベラル』の違いは、顕在意識と潜在意識をどれだけ自由に行き来できるか、そして、どれだけ深く潜れるかによる。もっと言えば、顕在意識と潜在意識の間にある『(ネトウヨ)フィルター』が目づまりを起こしている。あるいは、無意識的に、選別し、都合の悪いものを通さなくしている。見えなくしている。そもそも、なかったものとしている。

それは過度なストレス(不協和)による防衛機制によるものか?それとも先天的なものなのか?

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ダニング=クルーガー効果(wikipedia)

能力の低い人ほど、自分を過大評価するという、認知バイアスの一種
「なぜ能力の低い人間は、自身を素晴らしいと思い込むのか」

1.自身の能力が不足していることを認識できない
2.自身の能力の不十分さの程度を認識できない
3.他者の能力を正確に推定できない

これは、つまり、どういうことか?

1.自分の失敗や、過ちを認めることができない。批判や反対意見を聞くことができない。理解できない。
2.「自分は悪くない」と、すぐ他者のせいにして、何が問題なのか、何が原因なのか認識できない。
3.自分や周囲を俯瞰(ふかん)的に見ることができない。自分を客観的に見ることができない。

それは、一体、どこから来るのだろうか?

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