挨拶について

こんにちは。
瞬発力、皆さんは自信があるでしょうか?私はありません。
徒競走ではスタート直後のコンマ数秒のうちに埋められないレベルの差をつけられ、複数人で「大乱闘スマッシュブラザーズ」をしていると遊んだ時間よりも離脱後に友人の試合を見ている時間の方が長い。瞬発力に課題のある人間にとってはあるあるだと思います。
しかしながら、これだけならべつに支障がないと言えます。運動神経がいい人にだって、それはそれで苦手なことや悩みのひとつでもあるはずです。体育会系ツーブロマッチョのあの子にも、和歌の風流を解せないことに涙を流す夜があってもいいと思います。
ここで問題にしたいのは、対人コミュニケーションにおける瞬発力についてです。個人的に、肉体的な瞬発力とコミュニケーションにおける瞬発力には相関があると考えています。サッカー部の友達にばったり会ったとき、なんだか呼びかけてくるのが早くないですか?今度ばったり会う機会があれば、こっそり足元を観察してみてください。澤穂希ばりの素早い足さばき(少しジグザグに進んでいる)で近づいてきているはずです。あなたがした話にオーバー気味にリアクションしてくれるのは、ファールをもぎ取ろうとするネイマールの演技を参考にしているに違いありません。
こうなれば、瞬発力に不安ニキの皆さんは非常に苦しくなってきます。ただただ頑張ってきたものがたまたま運動だった人たちに、気づかないうちにコミュニケーション力で遅れを取っているわけです。あれだけ頑張って覚えたケッペンの気候区分も、寝る間も惜しんで厳選した5V色ブラッキーも、悲しいかな私のことを助けてくれないのです。
この際、ここで着いた差を埋めるのは不可能だと割り切ることもできます。ない瞬発力を追い求めるより、瞬発力のなさを把握したうえで最適な立ち回りを考察してみる、ということです。

そこで私がまず目をつけたのが、挨拶です。挨拶、なんかめっちゃ種類多くないですか?「こんばんは(夜の時間帯に、知っている若しくは直接知らなくても関わりがある人にエンカウントした際、なるべく早く言わなければならない)」なんて狂気じみています。
ここで断っておくと、私自身挨拶は非常に重要なものだと思っていますし、知っている人や関わりのある人に会ったら絶対に挨拶をします。そのうえで、突然人に出くわすとたまに一瞬迷ってしまうことがあるのです。あれ、今すべき挨拶はこんにちはだっけ?こんばんはだっけ?みたいな感じです。この「迷い」の一因が挨拶の種類の多さである、と考えます。順に見ていきましょう。
まずは、「ありがとう」と「ごめんなさい」。この二つに関しては、しっかり言っていくべきだと思います。相手に何かをしてもらったり迷惑をかけたりしたのに何も言わない人間は、いい悪い以前に不気味です。また、ばったり会っても絶対に挨拶をしない人でも、ありがとうとごめんなさいが言えれば「まあ、なんやかんや悪い人ではないんだろうな」と思わせるものがあります。これが逆ならそうもいかないのですから、挨拶の中では環境デッキだと言えるでしょう。
次に、「いただきます」と「ごちそうさま」。これも、言うべきです。命をいただくという自覚と、飢えずに食べられることへの感謝。素晴らしいと思います。この2つに相当する語は国際言語たる英語にもないそうで、世界に誇るべき文化と言えます。日本人としての誇り、持って生きていきたいですね。
最後に、「おはよう」、「こんにちは」、「こんばんは」、「さようなら」といった雑多な挨拶です。特に前3つが我々を苦しめる要因でしょう。発動条件が一緒で、時間によって使い分けねばならないのです。その際に、一瞬の判断を強いられます。それを避けるために、これらは一つの挨拶に集約するのがふさわしいと言えます。具体的には、「ごきげんよう」です。
「ごきげんよう」を使うところを想像してみます。
朝会った友人に、おしとやかに「ごきげんよう」と声をかける。心なしか自分の足音がコツ、コツという優雅なお嬢様の靴の音に聞こえませんか?
所用が迫ってきて昼下がりのお茶会からおいとまするとき、上品に「ごきげんよう」と一声かけて立ち去る。所用が歯医者でも、まるで舞踏会に行くような気分です。
夕過ぎに散歩をしていたら近所の人とばったり会い、きらびやかに「ごきげんよう」と会釈をする。まさかこの後業務スーパーに行くなんて思えません。
なんてエレガント!これからは、積極的に「ごきげんよう」を使っていきたくなりましたね。それでは皆さん、ごきげんよう。

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