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2002年母の闘病HP-3-(備忘録)

前回5月に無くしたと思った2002年に創っていた母の闘病記のファイルが見つかり、ここにアップしていこうかな?と思った話を書いたけれどずいぶん時間が経った気がする(^0^;)


1. 前兆??~今年になって・・・。
2. 発病(2002.7.4~8.31)~治療開始から
3. ママさんの写真!
4. 2002年9月~10月のママさんの様子
5. 2002年11月前半のママさん
6. 2002年11月・・・ママさん様態急変-1-
7. 2002年11月・・・ママさん様態急変-2-
8. 2002年11月・・・ママさん様態急変-3-
9. 2002年11月30日午前9時57分

これが当時の闘病記のメニュー。この中の1番から書いて行きます。

(1. 前兆)

ママさんは太っていました。血圧も高かったです。でも、本人は血圧は病院に行っているから大丈夫!だと言っていました。なにより、太っていても元気でした。完全に甘くみてました。ホントに悔いが残ります。ママさんの友人の方が言ってました。「去年の秋に咳ばかりしてたから病院行こう!って言ったけど、行かなかった。あのとき、引っ張ってでも連れて行けば仮に病気だったとしてもこんな状態までなっていなかった・・・。悔しい!」

去年、私はママさんと二人で始めて旅行をしました。グァム3泊4日でした。20歳で結婚をした私はママさんと旅行に行く事がありませんでした。楽しかったのですが、そのとき、ママさんの足を久しぶりに見た時、太っていても足は比較的綺麗で細かったはずが、まるでぞうさんのように見え、「お母さん、えらい足むくんでるでぇ。ほんま痩せなあかんやろ?」と言ったのをおもいだします。そう、今思えばそのむくみは病気からきていたんでは?と思います。やはりその時に私が気がついて、病院に行くことを勧めれば良かったと・・・。

あまりに元気で近所や友人からもフットワークが軽い!と有名だったママさん。64歳まで働いていてお出かけが好きだったとはいえ、肥満!!!これだけでも毎年病院に行かせていれば・・・・。そう思います。

(2. 発病(2002.7.4~8.31)~治療開始から)

*ママさんが倒れるまで・・・*
今年のGW法事があって帰省したとき、ママさんは変わらず元気でした。一緒に心斎橋や道頓堀にも行きました。「また、夏来るからなぁ。」と言っていたのですが、5月の後半から右のリンパあたりにくりくりしたものが出来たらしく、私にはそれを6月になってから電話で言われました。ママさん「痛くないんやけどなぁ・・。なんか大きくなってきたみたいや」私「痛くない方があぶないねんでぇ。はよ病院いかなあかんやろ」でも、私もまさかそんな大変な病気になっているなんて考えもしなかったので軽く言っていました。そして、周りの人にも早く病院に行くようにやんや!と言われて始めて行きつけの病院に行ったのです。

レントゲンを撮ってみたら・・・。そこの先生はすぐ精密検査をした方がいい!という事でそれから10日間ぐらいの間に検査、結果を聞く。そして専門病院紹介。診察。翌日検査入院。と慌ただしく進みました。ママさんもまわりもこれはただごとではないと気づき・・・。それでも結核かな?と思ったりして、まさか肺ガンだなんて・・・。と思っていました。入院の前の日もママさんと電話で喋りました。少し不安そうでしたが、本人も大丈夫だろう。と思っていたはずです。

ところが入院初日7月4日。その日の検査が終わって病室に戻るとき・・・。主治医と歩いていてふらっ!と来て歩けなくなり車椅子で病室に戻ったママさんは、それから又検査をして右中大脳動脈領域の脳梗塞と判明。その日の血液検査で糖尿病だということも分かりました。倒れてから病室にいき、ママさんと対面したときはショックで真っ青になりました。脳梗塞の治療のためしばらくは肺の検査もスムーズに進みませんでした。そのうち、狭心症も判明。7月の20日頃に、正式に非小細胞ガン3期のBと診断。右頚部リンパ節の転移も分かりました。

そして、辛い治療が始まりました。


最初の頃の自分の母親が60代でガンになることに現実味が無かったことに本当に悔やんだコトを思い出します。

読んでいただきありがとうございます! 「結婚」という言葉からいろんな事をかいていきます。 読んでいただいた方に 何か一歩前に進めるような記事を書いていけたら・・・と 思っています(*^▽^*) ●グッドウエディングアワード2014グランプリ