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科の選び方と女の選び方

私が学生の時には、医事新報ジュニア版というものがあり、毎月発行され、無料で配られていました。学生が休憩する場所に、宮崎県保健所の医師募集みたいなパンフレットと同じ様に置かれていて、誰でも自由に手に取れました。

無料なのに内容は盛りだくさんで、最新の医療の話、RCPC(こちらは書籍としてまとめられていますが、古い本でもあり、手に入りにくいです)、今の科を何故選んだのか等の記事がありました。

私が一番好んで読んだのは、今の科を何故選んだのか?と言う記事でした。色々な先生(偉い先生から研修医の先生まで)が今の科の魅力を書いておられました。その中で最も私が衝撃を受けたのが、タイトルの記事です。平成2年の6月号に載った物です。私は大学5年生で、9月から臨床実習が予定されていて、本格的に何科の医者になろうかと考えていた頃でした。

「いささか刺激的な題で恐縮である」という文で始まるこの記事では、科を選ぶことは女性を選ぶ(男性なら女性を)のと同じだとしています。今はちょっと違いますが、当時は科を選ぶ=何大学の何科に入局(医師が就職する時入局と言う事が多いです)するかでしたので、その科のトップである教授に惚れたかどうかが大切だと書いています。

「何科に入局するかを考える時、多くの学生諸君は、学んだ内容、あるいは研究上の面白さ、今日的トピックスなど、そのアカデミズム性を判断基準にしているようだ。だが、僕はそのような基準をとりたくない。一部の優秀な諸君には通用しようが、大多数の学生には通用しない。」
「入局とはカオスに身を投ずることだ。それは学問と言うようなアカデミズム性と言うより、もっとどろどろした、往々にして生涯にさえ亙る長い間、同じ釜の飯を食べると言うような、 日常的な生活であり、繁りである。」
「医局生活はバラ色ばかりではない。惚れてしまった、愛してしまった教授から頼まれた仕事は、 たとえどんな嫌なことでも成し遂げうる。 しかし、相性のあわない教授から頼まれた仕事は、一、 二回は我慢出来ても、そう何回もとはいかない。ましてや生涯に亙ってなどと言う事は筆舌を越える苦痛である。アカデミズム以前に日常生活なのだから。」
「長い共同生活の中で は、良い面ばかりではない、醜い面も見えてくる。その時、文字どおりここ一番と言う時、命がけでぶつかっていけるか。それをしかと受け止めてくれる寛大さがあるか。自分が選んだ女に、人間として恥ずかしい思いをさせてはいけない。」
「感性は女にのみ求めるものではなく、常に自らも磨いておかなければならない。」

最後の二つは大切だと思います。研修医として入ったけれど、何も教えてくれないとか、手技や手術をさせてもらえないと嘆く人がおられますが、自分も磨いているのか?と言うことです。

「先生、この患者さんの輸液ですが、生理食塩水はCLが多いので最近は避けるべきだと言う文献を読んだのですが、あえて先生が生理食塩水を使われている理由を教えていただけないでしょうか?」と質問する。
「先生、CVを入れる患者さん、準備をして、プレスキャンを済ませました。先生の都合の良い時間に透視室に来てください!」と清潔な身なりになって待っている。
「気管切開は通常、気管カニューラ抜去困難症を避けるために、第一、第二気管軟骨を切開するのは避けるとあるのですが、経皮的気管切開キットの添付文書には、第一から第三ぐらいの気管軟骨の間を穿刺するとありますが、大丈夫なのでしょうか?」と手術前に聞いてみる。

みたいな発言を研修医の先生から聞くことがまずありません。私もやっていたかというと怪しいですが、こちらから「気管切開はどうして第一、第二気管軟骨を避けるの?」とか「生食と乳酸リンゲル液はどうやって使い分けるの?」とか聞いても、答えられない人がいます。それじゃあ、手技や手術はさせてもらえないですよね、、、、、、知らんけど。

私が研修医の時は、何か手技をさせてもらう時は、手順を言うように指導されました。初めて血管造影をさせてもらった時は、「完璧だけど、今はシースという物があるんだ」と言われた記憶があります(私が読んだ本にはシースが載っていなかった。なんせ30年近く前ですから)。私の大学の先輩は、手術中に手が少しでも止まったら、「はい、今日はここまで〜」と言われて、上の先生に執刀医を奪われたそうです。

今の若い人に、こんなことを言うとパワハラになるのかも知れませんので、直接は言えません。よってここに書いておきました。

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