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病み倒した日の自分の文章を読んで感じた違和感

 『この世界に適応できないと生きていけない』
これがおそらく、過去の私に掛けられた呪いの正体。休日の真っ昼間の元気な時に、ふとそれに気がついた。

 口にしたチョコレートが無味無臭で、溶けて口内に広がっていく異物が気持ち悪かった。当たり前のように覆い被さる希死念慮にそれが相まって、『普通の人の当たり前』ができない自分を責める声が抑えきれなくなって、LINEでぶちまけていた。車通りの煩い、真夜中の話。
 有難いことに、ぶちまけたメッセージを受け止めてくださる方がいて、その方に、すごく丁重に、思考を正されていた。病んだ私に巻き込まれるのは、相当しんどかったでしょうに・・・。反省しかないが、それはさておき。

 改めてメッセージを読み返す。
『自分の世界のルールは自由に作れるから、自分の世界はすぐに作れる。』
あれ、世界の中心に自分がいるぞ。誰かの世界に適応しようとするのではなくて、自分の世界を提示するスタイル。
 自分のことを周りに分からせる。納得させる。黙らせる。共鳴させる・・・?
もちろん、それが相手にとって不快なら、押し付けちゃいけないと思う。けど、ちょっと待てよ、合わない相手に合わせようとする必要がどこにある?例え仕事だったとしても、なるだけ関わらないようにする事はできるはず。

 適応するのが難しいなら、自分の世界を作ってしまえばいい。。。

 これは本当はもっと違う話題から発展した、ごく一部の切り取りメッセージ。だが、割と序盤の方で発した『なんでみんな群れられるんですか?』の叫びに、『群れられませんよ。何で群れなきゃいけないんですか?』って超ストレートに疑問がられている所を読み返すと、その方にとって、私の思考がいかに捻れていたかがよく分かる。
 群れなきゃいけないって思ってる時点で既に、その場の空気を読まないと自分の居場所がない的な強迫観念に駆られている。

 ひとりで歩こうよ。今私が立っているこの場所が、私の居場所だよ。

 あの日仕事をサボらなかったら、あの日フラフラとカフェに行かなかったら、行った先のカフェにあの人がいなかったら、きっとまた独りで泣いて、死ななかった事を後悔していた気がする。なぜか偶然が重なって、おかげで今、明後日の方向を向いている。希死念慮さんも、いつの間にか居なくなっている。

 星の帽子のお兄さんへ
 甘えさせて頂いて、ありがとうございます。


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