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ひとに求められる事をするのは、仕事の時間だけでよくないか?

 つい最近までwebのプログラマーをしていた。この仕事は専門職で、好きこそモノの上手なれの典型である。さらに恐ろしい事に、その技術を知っている人がこなせば30分で終わる仕事を、知らない人がやると3日掛かるような世界。仕事だろうがプライベートだろうが、365日勉強をしろという暗黙のプレッシャーがはびこる業界だった。

 この業界でひとに求められる仕事をこなしたいなら、スキルを磨くしかない。それも資格とればokみたいなレベルではなく、常にスキルを磨き続けなければならない。何を当たり前のことを仰る?と思われるかもしれないが、それの何がヤバいかというと、プライベートをマルっと勉強で潰してしまう事が、仕事と割り切ってコードを書いてる勢にとっては、とっても危険なのだ。

 この仕事に着いてから、趣味が消えて、好きが消えて、何かをしたい欲が消えた。プログラマーの肩書きを手に入れた代わりに、自分が消えた。当時は相当頑張っていたから、一部の方には尊敬の眼差しで見つめられたりもしたけれど、それに酔って自分が消えている事に気づくのが相当遅れてしまったように思う。

 仕事を辞めて、空っぽの自分自身を見て病みたおした。何もしたくなくなって、逃げのつもりで申し込んだリゾートバイトの面接に落ちた。やりたい事なんてなかったから、やり残した事を探した。どうせ死ぬならコレをやってから死のう的な、とってもネガティブな選択だった。
 夜の仕事をはじめた。ラウンジの白服さん。仕事の環境が、ガラッと変わった。

 ラウンジの白服は、覚える事が多く、臨機応変な対応も求められるハードな仕事だ。それでも前職に比べると、オンとオフがハッキリしている。
 何より変わった事は、仕事外で、仕事の勉強を求められる事は無くなった。酒の在処を覚えたり、お客様の顔を覚えたりするのは、営業時間内で充分対応できる。そのおかげで私には、約5年ぶりに「プライベート」なる夢の時間が帰ってきたのだ。

 ニートをしていた数ヶ月の間に、空っぽの自分に焦ってジタバタしていた。そのおかげで色々あって、今、私は短編のストーリーを書いている。祝、趣味復活。

 短編のストーリーや小説は、誰かの為に書いていない。自分が書きたいから書いている。なんなら私のぶっ壊れた感性が何故か通じる方々が、興味を持って読んでくれたりするものだから、リアクションまで頂けた日には、もう、とっても幸せ。

 書いていて、やっと気づいた。求められる事をしようとか、誰かの役に立とうとか、そういう奉仕の心を全無視して、「ただ好きだからやる。」っていう時間を作ると、ちゃんと自分が満たされる。

 誰かの役に立たないとお金を稼げないっていうのは世の真実。だけど、ただ好きな事をして自分に酔ってるだけの時間も、現世で自分を生かしていく為には、きっと必要な時間だったんじゃないだろうか。

 

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