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身体壊したのは自己責任。本当にそうだろうか?

 とある日の営業時間終わり、あるスタッフが呟いていた。「〇〇の店のママが倒れて救急車で運ばれたって聞いたんだけど、そういうのって、かわいそうって思うのかなぁ…。」そして、オレあんまりかわいそうって思わないんだよね。そう続けた。もう締め作業の真っ只中で、周りに居たのは黒服と白服だけだった。お酒も入っていて、本音100%の素の言葉だったんだと思う。
 彼曰く、倒れるってそれ相応の理由があると思うんだ。自分にも他人にも無理を強いる、そういう生き方してきたから結果倒れた訳でしょう?だからソレって自分の責任じゃん、そう考えていたらしい。
 彼の考えも一理あると思う。ただ、身体壊してでも何とか今いる場所に適応しようと努力して、身を削って生きてきた私の視点からだと、中々に残酷な見解だなぁと思ってしまった。

 身体壊す寸手くらいの時って、自分が、または自分達がやらなきゃどうにもならない、と思い込んで、視野がとっても狭くなっていると思う。そんな時に救いになるのは、周りの誰かが唐突に提示してくれる「第三の選択肢」なんじゃないかと思っている。
 たとえソレが的外れな選択肢だったとしても、一瞬あさっての方向を向かせてくれる。そうすれば、ほんの少しだけ、頭にゆとりができる。
 ウワサのママさんは、運悪く周りに「休め」って選択肢を提示してくれる誰かが、いなかっただけなんじゃないだろうか?

 結果倒れたんだとしても、自己責任で片付けてしまうのは、ちょっと違うんじゃないかと思う、今日この頃だった。


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