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スキップカウズ•イマヤスのオールナイトニッポン

1997年から1998年まで、1年間だけ放送されたラジオ番組、「スキップカウズ•イマヤスのオールナイトニッポン(ニッポン放送)水曜一部」。
当時、ロンドンブーツ1号2号やナインティナイン、福山雅治、松任谷由実等、絶大な人気を誇る芸能人や歌手がパーソナリティを日替わりで担当する中、無名に近い彼が抜擢され、そして断トツで面白かった。

当時中高生だった私はそんなイマヤスに衝撃を受けた。まだインターネットのない時代、イマヤスの情報は少なかったが、日本で一番話が面白い、そして裏表のない純粋な心を持った人だと思った。要領よくずる賢く、でも兄貴肌な彼にいつか会いたいとずっと思っていた。憧れの存在だった。

それから10数年後、結婚式を挙げる事になりイマヤスを招待しようと考えた。全く面識はないけれど、イマヤスなら来てくれると、メジャーデビュー曲「赤い手」を歌ってくれると、何故か勝手に思っていた。

でも、呼ばなかった。イマヤスの事を尊敬するあまり、知らない人から急に呼ばれても困ると思ったし、失礼な事はしたくなかった。本当は呼びたいけど、呼ばなかった。

それからまた10数年が経ち、久しぶりにラジオを聴く機会があった。時代が変わり、今はポッドキャストという存在がある事を知った。「昔、イマヤスのオールナイトニッポンを聴いていたな、今イマヤスは何をしているのかな…」と、何気なくイマヤスの名を検索したら「スキップカウズ•イマヤスのポッドキャスト」を発見した。

まだやっていたんだ!衝撃だった。27年前に感じた、日本で一番話が面白い男は本物だった。本物だからこそ続けられたのだ。そうだ、こんな面白い男を周りがほっておくわけがないのだ。そう思った。

ポッドキャストでは、私と同世代で当時オールナイトニッポンのリスナーだった方(謎の男長内#494〜496)と、オールナイトニッポン時代の話をする回があった。初回放送のテンパリ、母和子、のんきラーメン、カミーユ、カレン•スペンサー…。当時、カセットテープに録音し何度も何度も聴いた話が出てきた。フリートークも実はリハーサルがあり鍛えられたといった、ディレクターとの裏話。イマヤスの才能は健在だった。

長内氏はおそらく大手広告代理店の社員かテレビマンだろう。私が結婚式にイマヤスを呼ぼうとしたように、長内氏が担当する番組に、憧れのイマヤスを呼んだのではないだろうか。羨ましく、嫉妬してしまった。長内氏は、エンターテイメントの世界で成功し夢を叶えたが、私は何もできなかった。憧れるだけで何もしなかった自分が情けなかった。

オールナイトニッポン最終回では、関係者や母和子からの手紙で最後に泣いてしまったイマヤス。エンディングはバックで赤い手が流れる中「また来るわ!」と番組を締めた彼だったが、私は中高生ながらもイマヤスが再びオールナイトニッポンに戻る事はできないことがわかった。大人の事情を感じていた。

イマヤスのオールナイトニッポンが終わっても、イマヤスは27年間変わらず頑張っていた。そして私の憧れの存在である事も、もちろん変わらない。

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