見出し画像

南京第一公園について

 現在、南京には、有名な公園として漠愁湖公園と玄武湖公園がある。しかし、民国時期(1912-1949)には、南京にはもう一つ有名な公園があった。それが南京第一公園である。

 南京第一公園の由来は、清末から民国初期に活躍した李純将軍が1920年に亡くなった後、彼の部下がその活躍を記念して、明故宮の隣に建造したものである。

 かつてこの公園は、秀山公園、別名「韜の園」と呼ばれていた。公園の場所は大中橋の東、明故宮の南、秦淮河の隣にあり、その風景は大変美しい。1927年の中央政府が南京を首都にした後、これを南京第一公園と改名した。

 記録によると、1929年7月1日、当時の南京市政府は「すべての市民の便利をはかるため、7月1日から公園を完全開放して入場券なしでも自由に訪問することができる。」と宣言した。

 1937年8月から12月、南京は日本軍から無差別爆撃を受けた。その結果、この公園の施設は徹底的に壊された。日本軍は占領期間中、公園を占領し公園の北の部分を空港として改造した。その結果、南京第一公園は完全に消えてしまった。

 その後、1986年5月31日、明御河公園として正式に対外開放をした。しかし合計面積は1.733ヘクタールしかない。

参考文献:「消失的南京旧景」(复旦大学出版社、2014年8月6日)