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MCエッセイ Vol.42 岸田のセルフお焚き上げ2「ピンクが好きなんだね、可愛さの忌避」(岸田瑠瑠)

お久しぶりでございます。前回のMCエッセイをどこで聞き付けたか高校の担任教師に読まれてタジタジな国際文化学科4年の岸田瑠々です。

今回のMCエッセイも前回に引き続きセルフお焚き上げ企画をお送り致します。第2弾は「ピンクが好きなんだね、可愛さの忌避」です。

前回は「他人が自分に抱いているイメージを過剰に守ろうとする癖」によって会食恐怖症を発したという話をしたと思うのですが、今回書くことはざっくり言うと同じ癖によって女らしい自分を許せなくなったって話ですね。今思うと痛々しいったらありゃしません。それではお焚き上げ開始。

ーピンクが好きなんだねー

考え過ぎだとは思うのですが、母は幼少の砌から私が「可愛い格好」をすることをあまり好みませんでした。スカートよりはズボン。ピンクや赤よりは青や黒。彼女は母(私にとっての祖母)から女らしさをやや強要されて育ったようで、その影響から自分には逆のことをしていたようです。環境によってジェンダー意識が作られるのでは?と考えていた彼女は保育園入園時の靴と手提げカバンに青色を提案しました。けれど自分は赤が良いと言って聞かなかったらしく、女の子は赤が好きというのは環境ではなく生まれ持ったものなのだろうかと思ったそうです。

彼女の期待に沿うことなく、自分はその後ピンクが大好きな典型的女児へと育ちました。そんな自分にとって、ふたりはプリキュアマックスハートの金髪ツインテピンク衣装ことシャイニールミナス九条ひかりは憧れで、衣装をねだる位には彼女を好いていました。衣装を買い与えられルンルンの自分に母はあまり良い顔をしていなかったように思います。その頃だったでしょうか。年々女児女児しくなっていく自分へ母はこう言いました。「やっぱりピンクが好きなんだね」

この言葉をただ事実を述べただけと受け取れなかった当時の自分に心から同情します。

ー髪を切ってー

母は「可愛い格好」に良い顔をしなかった割には背中まである長髪を悪く言うことはありませんでした。毎日おさげを結ってもらっていたと記憶しています。そんな髪を切ろうという話が出たのは小学校2年生の夏。叔母の提案によるものでした。夏休み期間中預かるにあたって髪の手入れをするのが面倒だから切りなさい、と。自分で髪を洗えなければ乾かすことも結ぶことも出来ない甘え腐ったガキがされるべき当然の提案だったと思います。生まれて始めて髪を肩の辺りまで切り落としました。

1度髪を切って弾みが着いたのか、それからというもの自分の髪はどんどん短くなっていきました。所謂ショートカットの長さまで髪を切った時、母が非常に褒めてくれたことを今でも覚えています。髪が短い程褒めて貰えると思った自分は髪を切り続け、4年生になる頃にはもみあげと襟足を完全に刈り上げるに至りました。同じ頃、スカートやワンピースを履かなくなり、一人称がオレになりました。男児用パンツを履いている時期もありました。当時の自分は発育が悪かったこともあり一見すると男の子だったと思います。そんなことを続けているうちに「岸田瑠々=男らしい」という印象が周囲に定着。印象の虜である自分は「いつもと違うね」と言われることを恐れてスカートやワンピースが履けなくなり、自分を私と呼ぶことに母親をママと呼ぶくらいの羞恥を覚えるようになりました。可愛さの忌避です。制服のスカートも辞め、年中ズボンを履いて過ごしました。このスタイルは案外自分の性に合いました。けれど、どうぞ男に見間違えて下さいと言わんばかりの格好と振る舞いをしておきながら「ここ女子トイレですよ」「男女」というように女であることを否定されると不快に思ったあの時の自分が何を考えていたのかよく分かりません。男みたいな格好をしても女扱いされたいとは何と強欲なことか。

ー中学校の制服ー

自分は可愛い格好をしてはいけない、そのような自分は誰にも望まれていない。

男らしい自分の虜になってから数年。中学校に入学した自分は学校から許可を取り、同級生のスカートはためく中、1人ズボン着用を貫いていました。中学生と言えば自らの性を認識し始めるお年頃ですから、小学生の時以上に怪訝な目で見られることが増えました。トイレに入ったら心底不安そうな顔で「ここ女子トイレなんですけど…あの…」と言われた時。上級生のお姉様方に「あの子女らしいよ、全然見えないよね」「ていうか何でズボンなの?変なの」と囁かれた時。解釈違いだから、恥ずかしいから、母親が褒めてくれるから、この格好を案外気に入っているから、そんなこと言っている場合ではない。適合せねばと強く思ったものです。自分の身近な人々は「男らしさ」を許容しても、それ以外の大多数は許容してくれない。望まれているのはむしろ「年相応に女らしいこと」であるとその時気が付きました。

中学校2年生の秋、ついに自分はズボンを脱ぎ、スカートを履くことを覚えたのです。まぁ結局程なくして引き篭りましたから、ほぼほぼ履かれることは無かったのですが…。

そういえば、この頃は確かブラジャーも付けられなかったんです。全く胸が無いしそもそも女らしくしてはいけない自分が女子の象徴のような物をつけて良いわけが無いというような理屈だったような?高校に進学してもブラトップしか付けられなかったなぁ。だから形が悪いんですかね?

ースカートを履けるようになってー

不思議なもので1度履いてみるとスカートというのも悪くないなと思うよりになり、何なら履いてみたいとさえ思うようになりました。ですが勿論すぐに履けるようになるわけが無く。制服は「履かざるを得ない」ため、履けるようになった自分ですが個人の自由意思に委ねられる私服のスカートは、これまた履けるようになるまで時間を要しました。当時の自分が可愛い格好をするには、何が最もらしい大義名分が必要でした。中学生時は全くもってダメ、高校になると1着のシャツワンピには心を許せるようになり、卒業する頃にはもう1着解禁されました。なかなか踏み出せなかったのは母親がどういう顔をするのかわからないというのが1番大きかったです。

さて、大学入学です。親元を離れ、全く違う人間関係の中に飛び込む…これはスカートを履くまたとないチャンスです。入学して2年、とりあえずデニムのロングスカートと黒の綿ロングが履けるようになりました。そして3年。自分でも驚くことにミニスカートデビューです。恐る恐る履いていったミニスカートですが親しい友人からの反応は芳しくありませんでした。「いつもの瑠々ちゃんと違う」「なんかヘン…似合ってないよ!」痛恨の一撃です。とてつもなくショックでしたが努めて冷静に「誰がどう思うかじゃなくて自分がしたいからこの格好をしてきたんだ」と。「それを否定されると悲しいから言わないで欲しい」と。この数年間、周囲と何より自分に対して言いたかったことがこの言葉には集約されていました。

ー世界は自分を中心に回っていないー

食うのが遅かろうが残そうが。男みたいな格好をしようが女みたいな格好をしようが。そんなこと他所様にとっては心底どうでもいいことです。多少気にしているような素振りを見せても糞して寝れば忘れます。世界は自分を中心に回っていないので。自分に自信が無い癖して、どうしてそんなチンケな自分を他者が気にかけているというつまらない自信だけはあったのかと今なら思えます。

先日ミニ丈のワンピースを購入しました。相変わらずハーフパンツもよく履きますし、髪は刈り上げています。一人称は「岸田」に落ち着きました。ホック付きのブラジャーが増えつつあります。男らしい女らしいとか糞程どうでも良くなりました。これからも好き勝手生きていこうと思います。

冗長な文を最後まで読んで下さったお暇な貴方も、もし他人からの目が気になったり嫌なことがあったりしたら「世界は自分を中心に回っていない」と思ってみて下さい。一概には言えませんが、案外問題の規模は小さいですよ。楽になれます。

以上、セルフお焚き上げ企画第2弾でした。第3弾は「自己主張は身を滅ぼす!どうでもいい話が出来なくて」をお届け予定です。そろっと最終回かな?あと少し戯言にお付き合い頂けると幸いです。

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