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【現地取材】戊辰戦争・小出島の戦い/小出のホルモン文化:敬和キャンパスレポ Vol.26 20200313(Spotify / YouTube版)

2020/3/13の「敬和キャンパスレポ」は、魚沼市小出を訪問しての収録放送でした。


小出は越後戊辰戦争の激戦地の一つとされ、いくつも戦跡が残されています。

まず最初に戊辰戦争の際、小出で行われた戦いの跡を訪ねていきます。最初は、「会津藩烈士之碑(あいづはんれっしのひ)」がたてられている、小出の諏訪神社を訪ねています。
うおぬまの戦い。慶応4年(1868年)4月、新政府軍と町野源之助ひきいる会津藩兵が、ここ「小出島」で戦い、破れた会津兵は、会津に敗走したとあります。つまりここは、会津藩領だったわけですね。
会津藩烈士之碑。平成8年に町制施行百年を記念して諏訪神社境内に建立されたものです。

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ここは小出島陣屋跡です。会津藩の陣があったわけですね。ここは越後口の要で、敵が会津に流れ込んでこないようにしていたと思われます。しかし三国峠をこえてやってきた新政府軍に、会津藩は破れ、敗走することになります。
小出島陣屋跡を訪れた際の音声をお送りしました。明治36年に建てられて石碑で題字を書いた人物、松平容大(まつだいらかたはる)については、その後も話が続きました。松平容大さんは、最後の会津藩主松平容保(まつだいらかたもり)の長男で、明治2年生まれ。会津藩が家名再興をかけて移り住んだ青森県南部「斗南藩(となみはん)」で、わずか2歳で藩主となった人物でした。明治36年に34歳。東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業したあと、陸軍では大尉までつとめたとされています。

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昼間、戊辰戦争について、あまり予備知識がないままに、いろいろ勉強してきた私達ですが、最後は私佐藤が、地元魚沼グルメイチオシのホルモンへ、西脇くんよしださん、さらに国際文化学科の一戸先生を案内しました。小出とその周辺、魚沼の人たちにとって、焼肉といえば「シロ」と呼ばれるホルモンが中心です。大量のホルモン、それもゆでていない新鮮な生ホルモンを焼いて食べるのが、魚沼の人たちの主流です。いろいろ肉を食べる場合にも、「シロにはじまりシロに終わる」といい、最初と最後は必ずホルモンで食べるというのが、魚沼流と言われています。この日は、小出の人気店の一つ「やまに」さんにお邪魔してきました。

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シロにはじまりシロに終わる。小出のホルモン文化の雰囲気を感じていただけたかと思います。私にとって子供の頃から当たり前のようにあった魚沼のホルモンですが、どうやら特殊な歴史が背景にあったようです。今回に一緒に魚沼に行った一戸先生によると、この食文化は昭和29年に始まった奥只見ダムの建設がきっかけだそうです。ダム建設の仕事で全国から集った人たちの希望により、もともと新潟県ではあまり食べる習慣のなかった豚のホルモンを食べるようになったといわれています。
音声の中に出てきた、まとめて一気に流し込む焼き方は、本当に小出・魚沼の流儀なのか、正直自信はないのですが、私の周りではみんなそうなので、きっと魚沼文化なんだと思います。さて、このあと他のメンバーが実食するところをお聞きください。

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最後に今回うかがったホルモンのお店を紹介しましょう。今回は、魚沼市小出島にある人気店のやまにさんにお邪魔しました。シロと呼ばれるホルモンを最初と最後に「シロにはじまりシロに終わる」と言われますが、この日は、途中にハラミ、ジンギスカン、コブクロも美味しくいただき、みんな大満足でした。日々満席になる大人気店ですので、ぜひ皆さん予約して、小出に遊びに来てください。



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