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旧姓のときの私

独身時代には耐えられた激務も、家族を持つとなかなかにしんどいです。
11連勤め。明日がんばれば休みがやって来ますが、このままの働き方で良いのかと、最近は求人情報を検索してみたりしています。

20年前、最初の結婚をしたときは、念願叶って嫁に行くことになったので、夫婦別姓?必要ありますか?ぐらいの気持ちで、ようやく姓が変わるんだーと、誇らしく思ったものでした。
結婚=女の幸せ、と、古い価値観に縛られていた時代の出来事です。

離婚したときは、本当に理不尽な気持ちになりました。
銀行口座や免許証だけならまだしも、美容院の会員カードでさえいちいち、名前変わりましたので、と書き換えなくてはいけない屈辱。それも、女性である私の方だけ。


だからと言って、頑なにもう旧姓でいたい!と言う拘りが芽生えたわけでもなく、今も公的には夫の姓を使っています。

ただ、仕事や再婚前からの友達(友達のほとんどが該当しますが)の間では、変わらず旧姓で名乗っています。


ふわふわと大したアイデンティティも持たずに生きていた30年と、しっかりと自分の軸を持って物事を捉えられるようになった20年では、自分の名前に対する思い入れも大きく違ってしまったようです。


今転職をしたら、日常的に旧姓を使う頻度が極端に減ってしまうんだな。
そう思ったら、手放したくないと言う気持ちが、私の心に満ちてきました。


アラフィフの突然の再婚劇は、何ら周囲からの対応に影響を与えませんでした。

 ちょっと聞いてよー。今日こんなお客さんがいてねー、えらい目にあったんだよー。

と同じテンションで、

 もうさー、子育てたいへーん。娘が言うこと聞かなくってさー、疲れるぅ。

なんて話ができるのです。

たぶん、周りの人たちからすると、私は私。
独身だろうが母だろうが、旧姓ケイトときちんと認識されている安心感を感じます。


娘のサッカーチームの親しいママ友に継母であることを伝えたときには、まだ継母になって2ヶ月足らずだったにも関わらず、そんな風な違和感まったく感じなかったと言われたので、新姓ケイトのときは曲がりなりにも母親の顔をしているのでしょう。


旧姓ケイトと新姓ケイト、2足の草鞋。
私にはこのバランスがちょうどいい。

もっと家庭にどっぷり浸かるつもりで再婚しましたが、自分勝手に振る舞う娘のおかげで、私も自分を大切にしながら残りの人生を歩んで行けそうです。


旧姓も新姓も好き!

晩婚も悪くないな。と思っています。

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