夏休みが終わる、40代が終わる
娘の夏休みは明日で終わります。
闘いの日々でした。
たくさんの楽しい思い出を作ってあげたいと思っていたけれど、それほど楽しい夏休みではなかったことと思います。
コロナのせいでもあり、お天気のせいでもあり、娘のせいでもあり、私のせいでもありました。
でも、人生なんて、楽しいことばかりではありませんよね。
毎日毎日特別な楽しい思い出を作ろうだなんてがんばっていたら、何もしない一日を大切に思えない人間になってしまうでしょう。
日々を営むことが特別で、その毎日の中でもがいたり苦しんだり、そしてちょっと報われたり、そんな起伏があるから人生は楽しいのだと思います。
私の40代と言えば、こどもを持つか持たないか、その葛藤がすべてだったと言っても過言ではありません。
不惑だなんて、嘘ばっかり。迷いしかありませんでした。
こどもを産むタイムリミットを何故か42歳だと思っていて、なんとか相手を探さなくては!と焦っていました。
いよいよ出産は諦めなくてはいけないかと思い始め、それならこどもがいる人と結婚して、せめて子育てをしたいと、選択肢を広げたときに出会ったのが夫でした。
43歳。
それでもまだこどもを産みたい気持ちが残っていた私は、正直に夫に話しました。
娘ひとりを育てるので精一杯で、もうひとりこどもを作ることは考えていない。
うん、わかった。と、素直に同意したふりをしながら、この気持ちはシコリとなって時々疼くのでした。
6年前の誕生日直前に、付き合って8ヶ月経過していた私は、突然別れを突きつけられました。
夫の名誉のために詳細は記しませんが、寝耳に水とはまさにこのことだと思いました。
夫からのLINEを見て、血の気が引いたことを覚えています。
反射的に、これは神様が私に最後のチャンスをくれたんだと思いました。
新しい人と出会いなさい。
今ならまだこどもを授かるチャンスがあるかもしれないよ。と。
別れた深い悲しみを携えながら、前向きに新しい出会いを探す私。
その先で私を待っていたのは、私の妊活相手ではなく、夫と一緒に生きていきたいと切に願っている自分でした。
そこからは、思いの外あっさりとこどもを産むことができなくなった自分を受け入れることができました。
あの執着はなんだったのだろうと、自分でも不思議に思うくらいに。
慎重に計画的に夫と寄りを戻し、娘を自分のこどもとして迎えることを目的とせず、夫とのパートナーシップを一番大切に40代後半を過ごしてきました。
それでも、娘を育てている人と付き合っている以上、まったく無関係に過ごすことはできなかったのです。
今、私の人生の迷いはようやくなくなりました。
どんな状況であろうと、私は娘を自分のこどもとして迎え入れたのです。
夫に「私のことをお母さんって言うのはやめて」と言ったり、娘に「そんな自分勝手にするなら出ていきなさい」と言ったり、未熟な母かも知れませんが、どんなに喧嘩をして疲れても、娘を放り投げるつもりはありません。
最初の夏休みは酷かったねー。
大した思い出も作ってあげられなくてごめんねー。
母さん、必死だったなぁ。
50代が終わるころ、そんな思い出話ができるであろう家族を、私は今持っています。
それが何より幸せなことで、感謝しかありません。
優しさが少しだけ、私の中に戻って来ました。
朝練から帰ってくる娘に、置き手紙をしました。
宿題がんばれ〜📣
長くて短い夏休みがもうすぐ終わろうとしています。
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