見出し画像

シングルファザーとの結婚を悩んでいる方へ②

忘れないうちに、本題の方を書いておこうと思います。

それで、前回の記事の続きに何を書こうかと思ったかと言うと、ステップマザーになることをオススメするかどうかの話。

実際に自分がステップマザーになって一年弱が過ぎ、これから同じ道を歩もうかどうしようか悩んでいる人がいたら、今の私はオススメしないと思います。

大変さが想像を絶するから。

だけど昨日、夕飯の洗い物をしながら、ふと思ったのです。

何が大変って、継子の過去に自分がいないからです。

理由はどうあれ、自分がステップマザーになると言うことは、継子に実母がいない(一緒に生活していないと言う意味で)と言うことで、その子は何かしらの心の傷を抱えています。

それが、自分ががまんをしなくては、と感情に蓋をしていい子として振る舞うのか、どうにもならない思いを怒りに変えて反抗しまくるのか、虐待されていた場合にはもしかしたら、母親と離れられてホッとするなんてこともあるのかもしれませんが、それでも虐待されたと言う傷は残ります。

その傷をどうにか少しでも癒やしてあげたいと思うけれど、自分の無力さになす術もなく、継子の人格として積み上げられてしまった過去に、ただただ向き合うしかないのです。

自分が産んだ子なら、大変さが違ったのかも知れない。

そう思った自分に可笑しさが込み上げてきました。

私が産んだ子なんて、この世にひとりもいないのに。

比較できない子どもと比べて、私はどうしようとしていたのでしょう。

どんな子を育てるかではなく、私は子どもがいる家庭を築きたかったんだった。

私は今、夜、娘がベッドに入った時に、本の読み聞かせをしています。

娘が実母と離れて暮らすようになったのは1歳半ごろからだと聞いていますが、今の私に娘は5歳くらいに見えています。
欠落した何かが、彼女の成長を止めてしまっているように。
そこから、もう一度付き合ってみようと決めました。

ある日、この本面白いんだよ。と、娘が「大きい一年生と小さな二年生」と言う本を差し出してきたので、読んであげようか、と提案してみたのです。

うん!

娘の喜び様は、私の想像を超えて来ました。
次の日も次の日も、今日も本読んでくれる?と催促してくれるのです。

ああ、娘は、こう言うことがしたかったんだなぁ。


大変だけれども、大変だからオススメはしないけれども、自分の理想の子育てではなくて、目の前の子に真剣に向き合おうと思うならば、反対はしないかも知れません。

まだまだ答えはわからないけれど。

平坦な道を進むよりも、険しい山の頂上の景色を見てみたい私は、後悔はしないと思います。

もう一度言います。
平坦な道ではありませんから。

でも、ひとりの小さな心に、花を咲かせることができるかも知れません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?