呼び方ひとつ
こんな記事を書いたのは、1か月ちょっと前のことでした。
こどもとは言え、敬称を付けて呼んだ方がいいのではないかという話です。
それからどうしているかというと、私が娘のことを『ツムギちゃん』と呼ぶことはすっかり定着しています。
娘がそのことについて、何か言ってきたことはないので、どう思っているかはわかりませんが、そう言えばこの1か月、我が家はかなり安定しています。
継母娘関係を良好に保つために、というか、娘が孤立した人生を送ることがないように、大人も変わらなくてはいけないと考える中で、私が具体的に行動に移せたことはなんだろう?と振り返ってみました。
▪️娘が不機嫌になって言い争いになりそうになった時は、一回物理的な距離をとって、間を開けずにこちらから冷静に話しかけ、そのタイミングで笑いが出るまで仲直りをしてしまう。
▪️娘がやりたいことに耳を傾けて、可能なことは承諾をする。
▪️できるだけ時間を取って、夜読み聞かせをしてあげる。
1か月でやったことといえば、こんなところでしょうか。
我ながらがんばったなー、と、自負したいところですが、実はこれ、どれも新しく考えてトライしたことではないのです。
やってあげたい気持ちはあったけれど、娘の態度に気持ちをかき乱されて、やりたくても気持ちが萎えてしまっていたことばかりです。
では、何が違うのか?というと、娘が安定してきたのだと感じます。
昨日、寝る前の読み聞かせが終わり、ベッドから覗かせた顔を見て、愛情の器が満たされていると思いました。
ああ、これなんだな、と、納得できた瞬間でした。
ようやく、底に穴が空いていた娘の器に、愛情が溜まり始めたんだと思いました。
それは、私がいろいろと試していたことと、娘の素直な態度が好循環になってきたことの現れだと嬉しくなりました。
それで、何かを変えたい時に必要なことは、いかに無意識にできるように習慣付けるか、ではないかと思ったのです。
そのきっかけになったのはやっぱり、『ツムギちゃん』と呼ぶという行動の変化だったのではないでしょうか。
先に挙げた三つのことには、私の思考や感情が大きく影響してしまいます。
やってあげたいけれど、気持ち次第だったりするわけで、それを自分の意思で継続するのにはかなりの忍耐と努力が必要です。
名前に敬称をつける→言葉使いが優しくなる→心が満たされる→素直になれる→喧嘩が減る→いろいろやってあげたくなる→心が満たされる…
この好循環にうまく乗れているのではないか。
呼び方を変えるということは、少しだけ勇気がいることですが、親しい間柄では、別に珍しいことではありません。
それだけ会話が多く、名前を呼ぶ機会がある相手ですから、慣れてしまえばすぐに新しい呼び方は定着していきます。
そしてわかりやすい。
自分に対する呼び名が変われば、小さなこどもでも気づくことができるでしょう。
ともすれば、『ツムギ』から『ツムギちゃん』と呼び方が変化したことで、ちょっと他人行儀に戻ったと感じさせてしまう懸念もありましたが、娘の顔を見ていると、自分のことを大切にしてくれているんだと、肯定的に捉えているのだろうと想像できます。
ツムギのためだったのか、私のためだったのか、今となってはわかりませんが、呼び方ひとつでこんなに変化があるとは思ってもいませんでした。
人に話せば、そんなことで?と言われてしまうようなことでも、小さなきっかけが、気づいたら大きな成果に繋がることのいい成功例ができたなと、嬉しく思っています。