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答え合わせはしないけれど、私の伝えたかったことが少し伝わったかな?と嬉しくなった日

昨日、あまりにも驚いたのでついnoteで呟いてしまったのですけれど、呟いた通り、帰宅中に除いたホームカメラの中でツムギは、今までに見たことのないような勢いでせっせと家事をこなしていました。

どうした?ツムギ!

両手で洗濯物の籠を抱えてバルコニーに向かうまでは今までもあったのですが、その後からは明らかに様子が違ったので、ちょうど電車に乗ったところだった私はスマホの画面に釘付けになり、その様子を追ってしまいました。

具体的に記録しておくと、洗濯物を干し終えたツムギが、走って空の籠を洗面所に戻しに行き、学校から持って帰った水筒を自らキッチンに持ってくると、すぐに自分で洗い(おそらく置きっぱなしなっていた食器も)、洗い籠に伏せてあった食器を含めすぐに拭いて、しまい洗い籠を片付けカウンターを拭き生ゴミをゴミ箱に捨て生ゴミの袋をセットし直しゴミ袋の口を縛りゴミ箱にも新しい袋をセットし直しすぐにゴミ置き場に捨てに行き、戻ったら脱いだ靴を揃え、いつも土間に寄ってしまう廊下のキリムを整え終始スリッパを履いてパタパタと走り回り次々やることを考えながら家事をこなしていく様子は、まるでスイッチが入ったときの自分を見ているようでした。

今までのツムギにはほぼ見受けられず、驚いたところを太字にしてみました。
見事に太字ばかり!笑

どうした?ツムギ!


私はここ一年ぐらい、ツムギの言動が私を不快にした場合、家の中で徹底的に他人になるということを繰り返してきました。
これには賛否(おそらく賛<否)あると思いますが、我が家の成り立ちとして、私自身を守るためにも、この家族が完全な崩壊になることを防ぐためにも、致し方ないと考えてきました。

相手はこどもなんだから。

それも何度も咀嚼したのですけれど。

何か、そういう綺麗事を絡めてしまうと、そのうち辻褄が合わなくなってしまって、返ってだんだんと大人になっていくツムギに不信感を与えてしまうのではないかと懸念したのです。

今は私が言っている意味を理解できなくて、冷酷非道な人だと思われるかもしれないけれど、いつか、私には私なりの哲学があったのだと気づいたときに、信念のない理想論みたいなことを並べて誤魔化そうとしていたんだと思ってほしくないのです。


それで、ここ一週間余りも、同じような状況に陥っていたのですけれど、家事をするツムギを見て、何かを変えようとしている意志を感じとったのでした。

それは、父に諭されたのかもしれないし、仲直りをするためではなく、自立に向けた改心かもしれなかったけれど、とにかくあの勢いは、現状を打破したい気持ちの現れだと思いました。


今夜は夫は夜勤だし、さてどうしたものかな。

すると、サッカーチームのグループLINEがプンっと鳴って、学生コーチの『明日、朝練やりますか?』というメッセージが表示されました。

『ツムギちゃん、コーチからそのように連絡がきていますが、なんてお返事しておきますか?』

メールを送ることにしました。

『ツムギは行きません』

いつもなら、メールを送ったことに気づいてもらえない時間帯でしたが、返事はすぐにきました。

『それと、ありがとうございます。と伝えてください』

私は、わかりましたと返事をして、コーチに返信しました。

『ケイト、今日は一緒にご飯食べられますか?』

コーチからのメッセージは、ツムギにとっても渡りに船となったのではないかと思います。

『今帰っている途中ですけど、一緒に食べますか?』

淡々とした姿勢は崩さず、会話を続けていきました。

『はい。洗濯物も干したし、台所も片付けたし、準備は万端だよ!』

その口調を先に崩してきたのはツムギの方でした。

『ゴミ捨てもしてくれたんでしょう?ありがとう』

ツムギのことですから、ニヤリとして、ひとりでガッツポーズでもしたに違いありません。


いつもなら、仲直りをする際には、きちんと言葉で謝ることを促し、何を反省して、これからどうするのかを自分で説明するように習慣付けを試みていましたが、今回は一切そのことにも触れず、淡々と、淡々と。

「わぁ!綺麗!せっかくキッチンを綺麗にしてくれたからお肉も焼こうか」

冷たい物を食べたいと言うので、出来合いの冷やし中華で済ませることにしたのですが(もうスーパーの店頭には冷やし中華麺は売っていないのですね)、私は大袈裟に喜んでみせ、冷やし中華の具材も足そうと、ツムギにトマトときゅうりを切ってもらうことにしました。

錦糸卵も焼いてお皿に盛り付けると、味気なかった冷やし中華がとても豪華に見えました。


「あのね、三連休なんだけど、お父さんは休みなんだって。ケイトもまだ休みのまま?」

一度予約していたグランピングの宿を、繰り返しの喧嘩の中でキャンセルしたことは、夫から聞いて知っていたようです。

「やっぱりね、小学校最後の夏だし、三人でお出かけしたいの」

「今から計画できるかしら?秋の三連休はどこも混んでいて、予約もいっぱいだと思うよ」

それでも、私もいろいろなお出かけのアイディアを出し、二人であーでもない、こーでもないと、計画を進めていきました。

「お父さんは何をしたいかな?ケイトはどんなところに行きたい?」

絶対自分はプールに行きたいはずなのに、みんなが楽しめるようにプランしたいと、一生懸命考えていました。


結局、土曜日はツムギが前から行きたがっていた、御茶ノ水の画材屋さんに行ってみることにして、日祝日は、当初予定していた那珂湊で生牡蠣を食べるプランを活かし(夫と私は生牡蠣が大好きなのです)、人気のグランピングは満室だったけれど、大洗のホテルを予約することができたので、遠出をすることに決めました。

「ツムギね、家族で旅館とかに泊まったことないんだ」

夫からは、前妻と一緒に沖縄に行ったことがあると聞いたような気がするのですが(その頃のことは、あまり会話にしないのでうろ覚えです)、実家にいた時は、犬を飼っていたりで旅行という選択肢はなかったようですし、こちらの家族ではまだ、私の姉の家に数回泊めてもらったのが、旅行と言える唯一のことでしたから、ツムギが家族旅行を夢見る気持ちはわかると思いました。

「初めての家族旅行なのに、こんな適当な感じで宿を決めちゃってごめんね。こんな三連休の直前に予約できる宿だから、もしかしたら、ビックリするような宿って可能性もあるよ」

一応、予約サイトで近隣の空室を比較して、その中から一番良さそうなホテルを選んだつもりですけれど、何しろ、ツムギと話をしながらだったので、ホームページも斜め読みしかできなかったのです。

「笑えるような宿だったとしても、ウチの家族ならいい思い出になるよね。笑う門には福来るって言うしね!」

昨日まで、プリプリと不機嫌に大人に当たり散らしていたとは思えない、可愛い娘がそこにはいました。

「ツムギね、今日は絶対ケイトが帰ってきたら、この話をしようと思っていたんだ!」


もう、直接答え合わせはしませんでしたが、ツムギは誰に言われたでもなく、自ら進んで家事をやったんだと確信しました。

「自分の欲求だけ通そうとするのはよくないことよ」

折に触れ言い続けていたことが、ここで実を結んだと感じました。

これをやるからあれをやって。という交換条件ばかりになってしまうのは嫌だけれど、お互いに思いやりを持つから、自然と相手に何かをしてあげたいという気持ちが湧いてくるし、それは人間なんだから、親子間だって変わらないと思うのです。

自分の要求だけを強く主張すること。

それは、父によく注意されたことでした。

その時は、どんな意図で言われたかわからなかったけれど、きっと父も、娘が自分勝手で嫌われる大人になってしまったら困ると、必死で伝えようとしてくれたのだと思います。


すぐには定着しないかもしれないけれど、伝え続けていれば、ちゃんとそれは吸収してくれていて、ツムギのタイミングで成長に繋がるのだと嬉しくなりました。

さて、どんな三連休になるのやら。

ワクワクしながら、残り半日、仕事してきます。

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