そもそも、母親の愛情とは何か?
愛情不足。
娘のいろいろな問題行動を調べれば調べるほどこの言葉に辿り着いてしまい困惑するのです。
母親の愛情を受けずに育ってきてしまったことは明白で、心に寂しさを抱えてがんばっていたのかと思うと切ない気持ちになります。
だけれども、誰の愛情もなかったわけではありません。
夫は両親の力を借りながら、相談する母親がいない中、父親として精一杯の愛情を注いできていました。
おじいちゃんおばあちゃんが常に家にいて、保育園の先生からも愛され、学童のお友達にも恵まれて、どちらかと言えば孤独とは無縁な環境で育ってきたと聞いています。
私は小学六年生のときに母を亡くしました。
死別と離別は違うとか、幼少期に愛された記憶があるかないかとか、母親がいなくなった年齢だとか、兄弟がいるかいないかとか、異なる状況を言えば私のケースと比べること自体に批判があがるかも知れません。
私は自分のことを、可哀想な子だとは思っていませんでした。
母が恋しくて泣いたこともあるし、必死に母親代わりを務める姉に暴言を吐いたこともあります。
けれども、母方の親戚は母の生前と変わらず付き合いを続けてくれましたし、深い愛情を注いでくれました。
母親の愛情は母親でしか与えられないもの。
それが本当だったならば、私は一体、娘に何をしてあげられるのでしょう。
夫はハグをしてあげて欲しい。と、私に言いました。
ああ、最初にそれを言っておいてくれたらよかったのに。と思いました。
私だって、従姉妹の子供たちに会えば、自然にどちらからともなくハグをします。
でも、一ヶ月ほど共同生活をし、言うことを聞いてくれない娘に悩んでいる私には、夫の願いは難題でしかありませんでした。
今と未来に愛情を注いでいくことはできそうな気がします。
だけど、過去に遡って、渇望していた母親の愛情を埋めてあげることはできないのです。
なぜなら、私自身、母親の愛情は朧げな記憶でしかないし、何より、子供を産んだ経験がないのですから。
娘が、初めて会った三歳のあのときに、そのまま家族になっていたら状況が違ったかも知れません。
でも、小学四年生の娘を前にして、子供扱いができない。子供とは言え、日本語は通じる相手。どうか、現実を受け止めて、不器用な継母の愛情で心を満たして欲しい。
急に共働きの核家族に放り込まれて、学童も終了し、自分のことに注目してもらえる時間が激減した娘。
愛があるから、独身時代と変わらぬ激務に耐え(実際には残業できる時間が減って負担は増えている)、家に不満を持ち込みたくないから、自分のストレスは外で発散し、貴女のせいで、と言わない努力をしているつもりです。
愛されていないなんて不安を抱えないで。
でも、でも、でも。
嫌な口癖ばかりの文章になってしまいました。
でも、をなくしていったところに、解決の糸口があるのでしょうか。
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