13年目

また今年も3.11がやってきた。

あの日の今頃は何をしていたか。
午前中は三和中学校の卒業式を取材していた。穏やかな天気だった。
春の息吹を感じる中車で会社まで戻り、原稿を書き上げて写真を送り、ゲラチェックをする。いつものこの時期と変わらない穏やかな日常だった。

日常というのがどういう状況なのかは判別が難しいけれど、ある程度の日常が戻ってきたのは3月24日か25日頃だったように記憶している。その間は、目で見ている風景や発生している出来事が理解出来なかった。

3月24日、いつも通り災害対策本部が設けられた消防本部の2階から目を落とすと、一斉に出発していく郵便局のバイクが見えて、ただそれだけで感動していた。「ようやくおにぎり入荷した!」って喜ぶ知人のコンビニオーナーと抱き合って喜んだ。

田町の飲み屋街にも灯りが点き始め、メディアの仲間たちとみんなで鉄板やに行った。「こんなもんしかなくて」って申し訳無さそうに紙皿に盛られた500円料理と、色気もなんもないコップに注がれたビールが本当に美味かった。名前も知らない店内のお客さんたちみんなで盛り上がって、泣いて、生きいることに感謝して、亡くなった人を思い出してまた泣いた。

あの日から13年。
この時期はやはり心が騒ぐ。
日常の何気ない風景を見ても、泣けてくる。
あの日から生活は変わったし、自宅に帰れば嫁さんがいつも美味しい料理を用意して待っていてくれる。何気ない日常を紡ぐことが、どれだけありがたいか。生きていられることがどれだけ幸せなことか。

ゴールした勝った、引き分けた、負けたと一喜一憂出来る今。
いわきFCというかけがえのないクラブが出来たことにも感謝しかない。

いわきFCと一緒に何が出来るか。どんな地域をいわきFCと作っていくか。
本当に見せたい人には見せられないけれど、そんな思いを抱く3.11。
あの日、そしてあの日以降旅立っていった多くの人々のご冥福をお祈りいたします。また能登半島地震や多くの災害亡くなられた方々にも哀悼を捧げるとともに、早期の復旧・復興を祈りたいと思います。


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