恩師(高校時代②)
前回は、恩師の電話1本で私の大学が決まったことを書きました。今回は、「恩師と舎弟」という視点から、当時を振り返ります。
恩、運、縁
「恩、運、縁」と言う言葉、ご存知だと思います。誰でも、恩師との出会いは、まさに運であり、一生のご縁でもあります。
「恩」は返すもの
「恩」は返すもの。私は高校卒業後、なるべく先生をサポートしようと尽力しました。母校が春の選抜大会(現在のウィンターカップ)に出場すると、練習会場の手配等できるだけの応援をしました。先生がアドバイザーとして指導していた実業団二部のチームを大阪の合宿施設に招待したこともあります。しかし、一番はなんといってもバスケットボールの聖地:代々木第二体育館で行われた全日本総合選手権大会(天皇杯)決勝、優勝した試合を観戦していただけたことです。試合後、先生と食べたお寿司は最高でした。
マネージャーはチームに一人
「運」もあったと思います。大学在籍中は、全国から有望な選手が集まり、黄金時代と言われる年代にマネージャーをすることができました。大学卒業後も、ちょうど関西の強豪チームが、マネージャー採用をしている時に巡り合いました。私は受験勉強どころか、就職活動もする必要が無かったのです。さらには、私の代は「マネージャー豊作の年」と言われ、マネージャーのライバルにも恵まれました。選手は各学年、各年代たくさんいますが、マネージャーはチームに一人。本当に恵まれていたと思います。
先生を通じての「ご縁」もたくさんいただきました。特に高校の先生に初対面のご挨拶をする時、「静岡のO石先生の教え子です。」と一言添えるだけで、良い意味でも悪い意味でも、距離感が一気に縮み、会話が弾みました。今でも全国の先生方からは、色々と気にかけていただいています。感謝しかありません。
お見舞いでの一言
会社を退社後、大阪でスポーツバーを経営していた頃、O石先生と一時疎遠になってしまいました。静岡で教員になるために、体育大学に行かせてもらいましたが、地元に戻らず、大阪にとどまったことで、少し引目を感じていたからです。
しばらくして、先生が体調を崩されていると言う噂を耳にし、意を決してお見舞いに行きました。ちょうど、スポーツバーを閉めて、専門学校のバスケコース立ち上げに携わることが決まった時でした。先生の容体はかなり悪く、病床から起き上がることが精一杯な状態でした。幸いにも意識ははっきりしており、「再びバスケットボールの指導に携わることになりました。」と報告すると、「そうか」と一言だけ言ってニヤリと笑っていただけました。
残念ながら、次の年に他界されるんですが、葬儀には全国から多勢のバスケットボール関係者が参列され、先生の影響力を改めて知ったのでした。
私の人生は、あの1本の電話から始まりました。O石先生は、もういらっしゃいませんが、空からニヤリと笑っていただけるよう、これからも「恩、運、縁」を大切に頑張っていきたいと思います。
今回もお付き合いありがとうございます。「親孝行したい時に親はなし」と言うことわざがありますが、恩師も同じですね。
次回は、大学時代の恩師について振り返りたいと思います。
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