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新年度スタートの日に目標を設定しました

目次


  1. 今、感じること

  2. どうしていきたいのか

  3. そのためにする行動は?

  4. まとめ

1.今、感じること


昨日(3/31)は、節目の日であったのでストーリーに
「1年目お疲れ自分」
「2年目も頑張ろう」
「明日からGWに向けて頑張ろう」など
このような投稿が相次いだ。

ここで僕は2つの感情が入り混じっていた。
「休学3年目、何をしているのだろうか、自分は。」という気持ちと
「僕は僕の道を行く。そして確実に成長できている。」と
落ち着かせる気持ちが表れた。

なぜか心拍数が上がったのだ。
おそらくここには
「相対的に世界を捉えている自分」と
「絶対的に世界を捉えている自分」の二つが存在している。

僕は、今まで相対的に生きていた部分が多い。
例えば、
「高校のみんなより良い大学(偏差値の良い)にいこう。」
「部活のみんなより速くありたい」
「みんなが取れない資格を取る」など
このようなことだ。

人と比べることは「やる氣」が出るので、良い方法でもあるが
一方で、非効率でもある。

どう非効率なのかと言うと、
例えば、
友達と100mを競走して、負け、「次は勝つぞ🔥」と燃えて何千時間も費やしたとする。
そして、友達には勝った。

はて、これには意味があるのだろうか。
意味はある。
だが、人生の貴重な時間の数千時間もかける必要がないように思う。

それは、自分の心の裏側の声を聞けていないからだ。
全て、人と競っていては
いくら体力のある人でもいつかバテる。
相手は80億人と恐ろしいほどいるからだ。

ここから言えることは、
自分の心の声を聞く大切さである。

多くの人は「周囲の雑音に惑わされ自分を忘れてしまっている」
こう思うのは、自分だけではないはずだ。

28歳くらいになって、自分は「ここでずっと働いていくのだろうか?」と
悟る人が多いように、人は不安要素のお金と環境が手に入ったときに本質を考えるようになる。

これでは、貴重な若い時間がもったいない。
そうは思わないだろうか。

世の中にはたくさんの意見があり
「20代は言われたことをやるべし」
「20代こそたくさんの挑戦をしろ」
こんな言葉で世の中は澱んでいる。

結局、正しいものはなく
正しいものは自分の意志という結論に至るだろう。

こんなことは、皆分かり切っているだろうが
中々、実践できる人はいない。

ちなみに自分自身、わかってはいるが
自然と染みついた心になってしまっている。

体だけが動いて、心をどこかに置いてきてしまっている気がするんだ。
そんな悲しい世界、僕は嫌なのだ。

心と体が同じ、つまり「精神と肉体」この二つが揃って
初めて生きている実感を得るのではないだろうか。

2.どうしていきたいのか


石垣にいた頃、
野菜生活を行なっていた。

毎朝、5つの野菜・果物を食べる。
りんご、にんじん、ブロッコリー、パプリカ、トマト
シンプルな食べ物たちだ。

初めは気づかなかったが、3ヶ月も経てば
自分の肌が今までにないほど、美しく潤っていることに気がついた。

そこから、ジャンクフードの憎たらしさや
油などの不純物を食べるときに体が悪いガソリンを入れている感覚を得た。

これらから学んだことは
「体に正直に生きる」ことは美しい。ということである。
こんな素晴らしい気づきを与えてくれたはるらんには感謝しかない。

僕は、それまではチョコやマックなど
本当に悪い食べ物をたくさん食べてきた。

自分の体にとても申し訳なくなった。
でも、気づかないし気づけないんだ。
というか、気づいていても動けないんだ。

人間ってそのくらい単純な生き物だと思う。
知っているのに動けない。

じゃあ、どうして今回動けたのだろうか
それは環境を提供してくれる仲間がいたこと。
実感を得たこと、協力してくれる人がいたことである。

この気づきは、今後他の人にも転用していこうと考えている。
つまり、「環境を創りたい」のである。


さあ、肉体の話はここで終わりだ。
次は「精神」の話をしていくぞ。

僕らはまず、目に見えることから実践していく傾向がある。
例えば、自分の「スマホの画面が割れたら、すぐ直しに行くだろう。」

でも、スマホの容量が増えて処理速度が遅くなっても
容量を減らしてあげたりしないだろう。

そして、容量がなくなり警告が出て、初めて人は動き出す。
ましてや買い替えたりする。

これはスマホだから良いのだ。
これが人の心だったらどうなるだろうか。

おそらく、死である。
もしくは、思考停止だと思うんだ。

この問題と向き合うには
「生きる」とは。
この議題から始めないといけない気がするが、今回は割愛する。

ちなみに、僕にとって生きるとは
「幸せの循環」である。

そう。人は幸せを感じるために生きているのではないだろうか。
ここで勘違いして欲しくないのは
「幸せ=欲」ではないということ。

欲があるから、人は苦しむのであり、
幸せの対義語であると僕は考える。

相手に期待せず、事を行い
喜んでもらえたら嬉しい。これで良いじゃないか。

なすべき事をする。
それが幸せとなる。

このようなフラットな依存関係が望ましい。


さて、ここで
僕から見える世界の話をしようか。

僕には世の中の人は
仮面を被っている人が多いように思えてしまう。

「コメダで商談を行う嘘笑いなサラリーマン」
「市場規定に乗っかってしまった家族関係」
「周りとの差を気にしすぎている高級車乗り」

これらは極端な例だが
僕自身、仮面を被ってしまっていることもある。
「嘘笑いをしながら、人の話を聞いてしまっている」
「行きたくないのに、行ってしまう」

認識しているのに、体が反射的に動いているのだ。

これは長年の習慣によるものだと考える。

さあ、ここでだ。

僕から一つ提案がある。
「心の清掃をしないか?」という話だ。

僕らの心は、たくさんの土足により
黒く滲んでしまっている。

だから子供の頃を思い出して、本音を思い出すのだ。

こんな汚れた心、見にくい心では
これから先、何をすればいいかなんて見つけれるはずがない。

本当なら、人は迷わないと思うんだ。
だって、小さい頃
「欲しいものは?」と聞かれたら即答できたでしょ?

そうなんだ。

僕らは排気ガスの多い町で暮らしすぎたのだ。

今から換気をしたところで、心は綺麗にならない。
そうでしょ?

換気して、天井が綺麗になることはないでしょ?

そう。もっと根本的に解決していかなきゃいけない。
これが今の時代に必要なキーである。

僕は強くそう思うんだ。
これで世界も変えれちゃう。
本気で思っているよ。

「換気ではなく、磨かなければ綺麗にはならない。」

心という精神を僕らは、今もう一度磨いてあげることが必要なのだ。

僕自身、とても苦しい日が続いた。
正直、社会人とは全く別の苦しさだと思う。

だから浪人してる人は面白いのだとも思った。

結局は、精神に尽きるのである。
いくらいくら肉体ばかり良くしたとて
落ちていく風船を、小さな風で吹き上げる作業に過ぎないのだ。

だが、精神は違う。
精神は木の大きさなのである。

だから、精神の大切さを僕は忘れちゃいけないし
軽視してはいけないと思うんだ。

何人かに精神の話をしたが、ピンときていなかった。
これは、苦しんでいる人にはとても刺さると思うんんだ。

本当に苦しんでいる人にね。。

ビジネス的な話をするのであれば、
皆が懐疑的であることはチャンスであるのだ。

今、YouTubeを始めても
インパクトは起こしにくい。

でも、皆がやらない。やれない領域こそイノベーションのチャンスなのだ。
そして、僕はイノベーションを起こしたい。

別に無理と言われたっていい、僕が楽しい道を生きたいんだ。
生きていくために他人の人生を生きることはしたくない。

僕の頭の中

精神と肉体がいかに大事か。
これ、意外と本質を突き刺していると思うんだ。

だって、そうだろう。
部室で暮らしてた時が一番幸せだったんだから。

お金なんて、ほんの一部に過ぎない。
というか、「精神と肉体を大事にできていなければ」
という前提をつけるべきだろう。

精神を大きくすれば、肉体の範囲も広がる。
肉体が健康であれば、他のことも大きくなっていく。

僕のやりたいことはこれなのだ。

(余談、カフェやるならボトルで出したい。冷めないコーヒーを。)



3.そのためにする行動は?


さあ、まず精神を大きくする。
その次に肉体を大きくする。
これらを繋げて、世の中にイノベーションを起こす。

これだけなのだ。

さあ、何をするだろうか。
まず、インドに行き精神を掃除しにいく。
精神の浄化を行い、そこから広げていくのだ。

掃除は、雑音を消し今に集中するということである。

やはり、現在はまだ気にしてしまっている。
こんな記事を書くのだから、そうだろう。

だけど、僕は肉体が変わったように精神だって変えれると信じているし
絶対できると思う。

だから、まずインドでビパサナ瞑想やヨガを行いつつ
直感という知力を鍛え上げる。

そして、肉体を綺麗にする。
これは食事、肌、など内部や外部全てである。

これらは同時で良い。

そして、後は
精神と肉体の上にある生きる力とイノベーションを掛け合わせる。

今はわからないが、
精神と肉体についてイノベーションを起こしたいと思う。

4.まとめ

とにかく、精神と肉体を見つめ直し
浄化しにいく。

そして、世界へイノベーションを起こす。


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