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最愛の母が亡くなったが、僕に後悔はなかった。

久しぶりの投稿です。

先日、僕の母が亡くなりました。
1年10ヶ月の闘病の末、静かに息を引き取りました。

母の病気は難病指定がされているもので、治療することができないものでした。1年10ヶ月の間は幾度となく入退院を繰り返し、通院になってはまた入院するという状況でした。

僕が初めて母の病気のことを聞かされたとき、涙が止まりませんでした。「まだまだこれからの人生じゃないか。やっとお父さんが自営業の仕事をやめて、これでゆっくりと2人で旅行とか楽しいことをしてくれると思ってた。」


それまでは家族ラインにときどき、お父さんとお母さんが2人ででかけて仲睦まじい写真がアップされていて、僕は心のなかで嬉しかったのです。

父の自営業は非常に忙しく、土日も仕事の準備でほぼ休みがありませんでした。これからたくさんの思い出を作ってくれると思っていたのです。

2021年8月某日。姉から電話がかかってきました。姉は家庭を持っており、そこに父と母が訪れていたのです。

姉から「お母さんが病気になりました。多発性骨髄腫と言われる難病で、治らない病気です。」

姉も聞いたばかりのようで、声が涙をこらえるように上ずっていました。母から直接僕に電話をかけるのが辛かったらしく、姉に頼んだようでした。

僕は聞いた瞬間、病名の怖さと治らないということを信じたくなさから涙を流していました。

「今すぐ行くよ。」
僕は名古屋に住んでいるのですが、たまたま所用で富山県の実家の近くに来ていたのです。当時はコロナ禍で県外の人と合うことが避けるべき風潮にありました。

「車越しでいいから、窓を開けて少し合うだけでいいから、行きたい」
僕が懇願するので、母も会いに来てくれました。

待ち合わせ場所に車を止めて、車越しに僕と母は対面しました。涙が止まりませんでした。お母さんも泣いていました。
「心配かけてごめんね。」何度も母はそう言いました。

「大好きよ、お母さん」僕は恥じらいもあったけど、ここで我慢してはいけないと思って、気持ちを素直に伝えました。
母も「大好き」と言ってくれました。

「また来るよ」そういって僕たちは別れました。


それから1年10ヶ月後に、母は亡くなりました。


この記事で伝えたいことは、タイトルにもあるように母が亡くなったけど僕に後悔はなかった。僕が何を考えて、どんなことをして過ごしたのかをお伝えしたいです。

最期に持っていけるのは「思い出」だけ

人が死ぬときにはお金も家も、名誉も持っていくことはできません。持っていけるのは「思い出」だけです。
僕は母、そして家族との思い出をつくることに全力を出しました。
それは他愛もない家族での夕食の時間だったり、一緒に車で出かける時間だったりします。

だけど、一緒に話せる時間は残り少ないのです。1日1日を大切にして過ごしました。

2022年の年末。僕は家族で温泉旅行に行きたいと思いました。家族に予定を聞くと、どうしても12月31日しか空いていませんでした。年越しの旅行はとても金額が跳ね上がっていました。

そして母の体調は悪化し始めており、「旅行に行かない」という選択肢が十分にありました。だけど、母や家族と相談し、行くことにしました。


僕はそのとき、たとえどんなにお金が高くても最高の思い出を作りたいと思い、1泊1人あたり5万円以上する部屋にしました。

母との時間をお金で買うことはできない。だけど思い出ならお金で買える。僕に迷いはありませんでした。


お金の使い方は人それぞれですが、僕は自己投資や思い出につながることには糸目をつけずに使って良いと考えています。

思い出はこの先の人生で何度も何度も思い起こしては楽しかったや、幸せだったことを感じられます。

現に、母が亡くなったあとに家族から「あのとき温泉行けてよかったね」と何度も言われます。母も生前に何度も言ってくれていました。

お金で買える思い出は、買ったほうがいい

やりたいことリストを年代ごとに区切る

僕はやりたいことリストを作りました。母とやりたいことや家族で行きたいところなどをまとめたものです。自分個人としてのやりたいことも含めています。

しかしやりたいことリストを書くのはいいけど、ただの箇条書きでは優先順位がつけられなくて、何から着手したらいいかわからないという問題が発生します。

僕はやりたいことリストを「自分の年代」ごとに割り振ることをおすすめします。これはタイムバケットと言われるやり方です。英語圏では、やりたいことリストを「バケットリスト」という「言葉を死ぬまでにやりたいこと」という意味で使っています。そのバケットリストに時間の概念を取り入れたから「タイムバケット」と呼ぶのです。

具体的には自分の今の年齢から5年ずつ80歳くらいまでに分割してみます。そしてやりたいことリストの中身を5年毎の区切りのどこに入れるかを考えて割り振っていくのです。

あなたのやりたいことリストに「スキューバダイビング」があったとしたら、できるだけ若いときのほうが体力もあって楽しめると思うのであれば、直近の5年間に入れてみる。過去の名作映画を100本観たいというのであれば、これは歳を取ってからでもできるとして60代くらいに入れてみる。


書いてみると若いうちにできることが圧倒的に多く、歳を取れば取るほど少なくなっていることに気づくのです。


タイムバケットには、自分の年齢だけではなく両親つまりは一緒に取り組む相手の年齢も考えてついれてください。

もし、相手の年齢ができるだけ若いうちに取り組まなければならないことであれば、今すぐに実行しましょう。
日を置けば置くほど、相手は歳をとっていくのです。


僕はこの考えを元に、できることから順次取り組んでいきました。先の温泉旅行もそうです。母が生きているうちにやりたいと思って、動きました。


タイムバケットは相手に作ってもらうのも良いです。私は母親と話して書いてもらいました。その中には「うなぎを食べたい」というものがあったので、テイクアウトをしてきました。その頃、母は免疫力がかなり低下しており、あまり出歩くことができなかったのです。それから何度かテイクアウトをしたし、体調が良いときにはお店までいって食べることができました。

母がしたいことは、言ってもらわなければわかりません。命がわずかな母にやりたいことリストを書いてもらうのは、とてもつらい気持ちになりました。だけど、できるだけ後悔したくないという思いで伝えたところ、喜んで書いてくれました。


やりたいことリストに「時間」の概念で優先順位をつけよう。一緒にやりたい相手の年齢も考えよう。大切な相手なら、相手にも作ってもらおう。

気持ちを素直に伝える

僕は母が病気だと知ってから、自分の気持ちを素直に伝えることにしました。「大好き」という言葉は何度伝えたかわかりません。母が入院していて会うことができないときには、LINEで送った時もありました。

母からは「自慢の息子だよ」と言ってくれ、とても嬉しくなりました。

僕が帰省先の富山から名古屋に戻るとき、今まではしてこなかったけど「ハグ」をするようにしました。これが最後かもしれないという思いを持って、大切にハグをしていました。そして家族にとってかけがえのない大切な思い出になりました。

母が亡くなる1週間前くらいから、やっとコロナの規制が解除されて、病院でも面会ができるようになりました。そのときはすでに母の体調がかなり悪く、病気による発熱も39度以上でていました。

僕が面会で涙ながらに話していると、そのうち母から母は「何も話すことない」と言われました。

驚くことに、僕はこれを聞いてとても嬉しくなりました。
本来であれば「話すことない」と言われると悲しくなるかもしれませんが、僕は逆でした。

だって、これまでに伝えたいことはすべて伝えてくれたということだからです。
病気に伏している辛い闘病期間で、僕に言いたいことは言ってくれたから、母も後悔はないのかなと思うことができました。

それは僕も同じ思いだったのです。母が最後の入院をする前に、手紙を書こうかと思いました。しかし最初の数行を書いたところすっかりと手が止まってしまったのです。書きたいことを考えても、それはすでに伝えたな。という状況でした。そのときに僕は、「伝えたいことは全て伝えられたんだな」と感じて、後悔はないと強く思えたのです。

伝えたいことがあるなら、早く言おう。伝えたいとき、すでに相手はいないかもしれないから。

さいごに

もし、最愛の人がまだ生きているのであれば、あなたはとても幸せです。
人はいつか必ず死にます。後悔しないように行動をしてください。僕からのお願いです。

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