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ニートの希望「パンサラッサ」

この文章はアドベントカレンダー「競馬 Advent Calendar 2024」の12月5日の記事として書いています。

昨年のジャパンカップを最後に引退した「既往に残る名馬」のパンサラッサについて書いてみようと思います。

なお内容には空想や妄想みたいなものも入っていますが、どうか中温かい目で見てやってください

2023年11月26日のパンサラッサ

2023年11月26日日曜日の夕方、私は東京競馬場の馬場内にある建物の屋上から私は寒空のもとで観戦していました。

当日は9戦7勝でG1レースを5連勝しており正真正銘の名馬であるイクイノックスがG16連勝めざして出走するとの事でたくさんの観客が集まっていました。向かいに見えるメインスタンドは身動きも取れないほどの満員となっており、いつもは空いている馬場内のフェンス脇も馬券売り場の屋上もすでにたくさんの人で溢れています。この東京競馬場にいるたくさんの人達がかたずを呑んでレースの始まりを待っていました。


当日の馬場内からの様子(10レース頃)

もう11月なのでかなり寒い中、ファンファーレと拍手と大歓声のなか第43回ジャパンカップのスタートとなりました。

その序盤から最終コーナーまでの長い時間、レースのほとんどの時間に主役を務めた馬がいました。

前走ドバイワールドカップを10着と惨敗し、いままで27回も走ってイクイノックスと同じ7勝しかしていないパンサラッサが1000メートル通過57.6秒で走り抜け、イクイノックスを含む他の馬を最大20馬身もの差をつけて最終のコーナーの先まで独走し続けたのです。

最終コーナーを走り抜けるパンサラッサの姿を見てものすごく興奮しました。当然彼の応援馬券を握りしめて・・・・・

結果は12着と散々なものとなりましたが、千両役者として多くの観客の目に焼き付けることとなりました。

そしてパンサラッサはこのレースで引退となり翌年の1月8日の中山競馬場にて、たくさんのファンに惜しまれながら引退することとなりました。

パンサラッサについて

パンサラッサの競走馬としての結果は素晴らしいものです。戦績は28戦7
勝、勝率はたかくはないものの生涯獲得賞金は18億4466万円で、傑出した超天才馬であるイクイノックスの22億1544万円と比べても、それほど遜色のない賞金を稼いでいます。

重賞も国内ではG1を勝利していないものの2勝しており、海外のG1レースで国内調教馬として初の芝(牡馬いターフ)とダート(サウジカップ)でそれぞれ勝利しています。

しかしパンサラッサを語るにはその戦績ではなく、その戦法が最も重要となります。パンサラッサは「令和のツインターボ」と呼ばれるほどの「大逃げ」を得意として戦ってきました。一般的には中・長距離においては「逃げ」は不利とされていますが、たとえ大敗したとしても曲げずに大逃げを続けてきたのがパンサラッサなのです。

競走馬として致命的な弱点を持つパンサラッサ

ここからは妄想+思い込み全開で書いていきます。

パンサラッサのような逃げ馬には「馬群が苦手」というマイナス面が原因で馬群にはいらなくて済む逃げ戦法を取らざるを得ないという傾向が会ったりします。パンサラッサはそこまででもないと言われていますが、結果的に馬群に囲まれてからの勝利はない上に、抜かれたときに抜いた馬を思わず見てしまうところから、やっぱり「馬群は苦手」という面があったと思われます。

この「馬群が苦手」というのは競走馬としては致命的な弱点であります。多くの競争では馬は馬群にもまれながら競争します。18頭立てのレースであれば15頭くらいはレースの多くの時間を馬群の中で過ごすことになります。
脚力があるから大丈夫といっても、これが苦手というのはやはり致命的な弱点にはなるでしょう。

実際の戦歴を見ても中盤を馬群の中で走った2歳の新馬戦や報知弥生ディープ記念は掲示板内にも入れていません。

これは人間で言うと「他人と一緒に居る職場では働けない」と同じようなものです。それではオフィスワーカーや工場での仕事としては務まりませんから、なかなか良い就職ができずニートになってしまう人も少なくはないでしょう。

競馬人生スタートで躓くパンサラッサ

そしてパンサラッサの競馬人生(馬生?)のスタートは散々な結果でした。1勝したのが3戦目の10月の未勝利戦、そして2勝目が4歳の6月です。

6月といえば同期のエリートホースたちが桜花賞や、ダービー、NHKマイルなどのG1を戦った後の時期になります。

人間で言うと出世時期で地位や年収に大きく差がつく年齢です。動機が係長や課長に出生していく中、完全に出遅れています。ヘタをしたら人生に失望してしまいそうな状況です。パンサラッサは同期ががキャリアを積み上げていく中でやっとバイトから正社員になったくらいの青年期をすごしたわけなのです。

そしてやっとオープンになったあと、なんとかエリートたちの後ろ髪に掴まれそうな神戸新聞杯で惨敗してしまうのです。

人間だったら心がへし折れて、引きこもってもおかしくありません。

トラウマがフラッシュバックするパンサラッサ

他の馬が成熟期を迎え稼ぎまくっている古馬のシーズンになってもうだつはちっとも上がらないパンサラッサでした。2月の関門橋ステークスで好成績(2着)を獲得し、同期たちに追いつくために再び重賞中山記念に挑むことになります。

しかしながらこのレース逃げることが出来ずに序盤から苦手な馬群に埋もれてしまい新馬戦のトラウマ復活で良い成績を残すことが出来ず、次戦の読売マイラーズカップでは左前肢跛行のため競走除外となってしまいます。

大きな出遅れから、やっとの思いで追いついたと思ったら完全なる挫折を味わってしまうことになりました。その後6ヶ月も引きこもることになってしまいます。

もはや人間に例える必要もないくらいの挫折を味わうことになります。

悪いところを直さずにに良いところを伸ばすパンサラッサ

そこからパンサラッサはやっと才能を開花させオクトーバーステークスや福島記念で勝利することになります。

パンサラッサの勇姿

人間の場合はなにか問題があったら「悪いところを直す」行動にでたりします。人とうまく話せないならうまく話せるように、対人恐怖症なら無理やり人になれさせたり・・・みたいなことをやりがちです。しかしもともと弱いところは鍛えたところでチョットしかよくならなかったりします。

しかしパンサラッサは馬群になれるなんていう「悪いところを直す」ことをしませんでした。そこには触れず自分の長所をより活かす方向で前に進むことになります。

重賞馬に駆け上がるオクトーバーステークスも、福島記念も途中に馬群に飲まれることなくずっと先頭を走り抜けることで勝利を掴み、いままで掴めなかった同期のエリートたちと戦う権利である重賞馬の称号を獲得したのです。

その後は勝っても負けても「大逃げ」を敢行し、次々に栄冠や名誉を勝ち取っていくことになったのです。

そして最後のジャパンカップで生き様を人々に焼き付けることになったのです。

あきらめなかったパンサラッサ

パンサラッサは人間で言えば中堅どころか中年くらいになってやっと華を咲かせることが出来ました。

しかし、そこまでの出遅れといい挫折といい絶望的と言えるものでした。人間であれば人生にすっかり失望して実家に引きこもりそうなくらい厳しいものでした。

でも自分の良いところを信じ、走り続けた結果日本歴代5位の賞金額を獲得することができたのでした。

彼、パンサラッサは簡単に諦めてはいけないと我々にメッセージを送っているのかも知れません。

というか「パンサラッサ」というタイトルで人間が主人公の映画作りたい。


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