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大学生教育に生成型AIを活用すべきか

文部科学省は小中高校での生成型AIの扱い方に関する指針を公表している。夏休みの宿題を課す前に、不適切な使い方をしないように、利用を認める方針を初めて明確にした点は評価できる。「使いこなす力を意識的に育てる姿勢が必要」な一方、著作権の侵害や偽情報・誤情報の拡散、創造性への影響などのリスクを考慮して限定的な利用を認めるのが正しい教育にあり方だと思う。一方、大学生はどうか。文部科学省は生成型AIの大学教育での取り扱いについて、各大学が主体的に指針を策定することの重要性を強調し、その際の留意点について取りまとめた上で通知している。大学側では、国立大学に関しては生成型AIの利活用に関する国立大学協会会長コメントが5月に公表されている。「国立大学が行う教育活動において、生成型AIの利用を一律に禁止することは求めない。生成型AIを適切かつ効果的に利活用することは、学生の知的欲求や能力を高めることに寄与する可能性が大いに考えられる」として「各国立大学はそれぞれの判断に基づき一定の方針を定め、明確なルール化を図ることが推奨される」としており、各大学に生成型AIの扱いに関する指針・方針は委ねられている。私立大学も同様に方針を打ち出している大学もあれば、様子見姿勢で未だに指針を出していない大学もある。このため、大学の教育現場では生成型AIの活用が教育の質の向上につながると期待しているものの、大学生を教育指導する際に生成型AIを積極的に活用すべきか否かが議論になっている。それは、あたかも自動車が登場した時代に、飛脚はどうしたらいいのかと言っているかのようである。自動車がなかった時代に、一番早く走れる人、一番早く江戸から大阪に行ける人が優秀な飛脚だった。自動車が登場したことによって、優秀な飛脚はどうなったか。飛脚より自動車のほうが重宝され、いつの間にか消えていったのではないか。生成型AIは自動車だとすれば、試験で点をとれるだけの能力しかない人は飛脚と同じ運命をたどるのではないかと思う。むしろ自動車を積極的に使うことによって、飛脚の何倍何十倍も効率性・生産性が向上するはずであり、自動車を積極的に使わない理由はない。勿論、自動車を運転するには運転技術がなければ事故を引き起こすだろうし、交通規則がなければ無資格無謀な運転が社会を混乱に陥れる。生成型AIの活用においても、しっかりと正しい利用方法を理解し、規則に沿った利用を心掛けるように大学生を教育指導していく必要があると考える。

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