⑧ニシダ君と音楽
話を少し戻そう。
ここからすこし音楽面の話になる。
前に出てきた、一緒にクラスでやんちゃをしていたニシダ君がキーマンになってくる。
小学校低学年時、
確かSMAPの次に少し聴いていたのがBUMP OF CHICKENの天体観測のCDだったと思う。
ある日ニシダ君が発売されたばかりのBUMP OF CHICKENの天体観測のシングルを持ってきた。
各教室に備え付けられていたCDプレイヤーを使ってお昼休みにみんなに聞こえるか聞こえないかくらいの音量で流したのがきっかけだった。
しかし、当時はA面の天体観測よりも、ボーナストラックに入っていた曲に魅了されていた。
(誰かの名前が連呼されたおふざけの曲だったのだが、小学生低学年の僕らにはそれがとても面白く感じられた。)
そうしてA面ではなくボーナストラックからと言う形で聴き始めたBUMP OF CHICKENであるが、その後はゆず、森山直太朗に傾倒していくことになる。
小学校高学年になるとよくニシダ君とカラオケに行っていた記憶がある。
ニシダ君は当時好きだった19やかりゆし58、自分はゆずや森山直太朗の曲をひたすら歌い、
たまに新しい曲を織り交ぜながらお互いの音楽を少しずつ広げていき、今の音楽感が少しずつ形成されていったのかもしれない。
今でも覚えてる話がある。
小学校の運動会のテーマ曲を決めるために各クラスで一曲ずつ候補を出し合って、最終的には運動会の実行委員で投票して決めるというイベントがあった。
自分のクラスで候補曲を募ると、
当時アテネオリンピックがあった影響からか
・ゆず/栄光の架橋
・くず/全てが僕の力になる!
の二曲が生徒たちから上がった。
それを見て僕は思った。
これじゃいかん。
こんな出来レースみたいな投票して何がいいんだ。
雰囲気で流されてるんじゃないのか?
本当にこれでいいと思っているのか?
そんなありがちな運動会でいいのか?
俺が一石投じてやる!
そんな僕があげたのは
森山直太朗/今が人生
と言う曲であった。
この頃から天邪鬼な性格だったんだなと今考えれば思う。
備え付けのCDプレーヤーで候補三曲を流してみんなで聴いて投票するシステムだったのだが、
みんなの
どうせ栄光の架橋でしょ。
という態度が気に食わなかった。
"今が人生"を聴かせて度肝を抜いてやる!
そう思っていた。
結果、
栄光の架橋/18票
全てが僕の力になる!/13票
今が人生/1票
であった。
度肝を抜かれたのは僕であった。
当時、8/31の夕方になると部屋で1人、森山直太朗/夏の終わりを聴いては涙を流していたくらい森山直太朗に傾倒していた。
CDシングルも全てを欠かさず購入し、本気で今が人生の勝利を疑っていなかった。
今思えばこの辺からすこしズレ出した気もしなくはない。
さて、ここまで書くと森山直太朗一辺倒でゆず好きな感じはあまり出ていないのだが、
こう言う話もある。
中学の遠足の時だったと思う。
クラスのみんなで貸切のバスに乗って目的地まで向かっていたのだが、そのバスにはカラオケがついていたのだ。
いや、いかん。まじでいかん。
カラオケめっちゃやりたいけど、好きすぎで止まらなくなる。まじでだめ。
やりたい気持ちをグッと抑え、みんながカラオケをするのを後ろの方から眺めていた。
歌いたい人が2.3人代わる代わる歌い上げ、
誰かが言った。
岡本も歌えば??
一度は断った。
だが、
えー、やりなよ。
その一言で渋々マイクを受け取り、
当時の僕の十八番であったゆずの"いつか"を歌った。
あーだめだ、楽しい。
そこからマイクを離すことは決してなかった。
ゆずの"さよならバス"や"桜木町"、"アゲイン2"や"飛べない鳥"を歌い、
気づいたらみんな飽きていたのか、その空気を察して先生が僕からマイクを取り上げたのだった。
そして、先生が学園天国を速攻でカラオケに送信して、歌い始めた。
先生はその身を犠牲にすることで岡本からクラスメイトを守ることに成功したのである。
本当に
空気を読むことよりも、自分がやりたいことに正直に生きてきたのは今でも変わらないなと思うエピソードである。
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