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E判定の嵐...それでも受けたい理由がある〜男子チア物語第3話〜


時間が経つのは早いもので、秋はもう終わろうとしていた。


男子チアのチームが全国の大学で早稲田大学にしかないと知った日から、俺の志望校は早稲田に決まり、猛勉強の日々。


センター試験は1月。

だが、俺にとってここは本番ではない。

もちろん、センター利用という受験方式で、センター試験から高得点を叩き出すことができれば、その結果から早稲田大学に進学することも可能。


だが、この高得点というのは、いわゆる日本一と言われる東京大学を目指しているレベルの受験者が、出すレベルの得点だ。


正直、ここでの勝負では受かる気がしない。


とにかく、早稲田大学に入れればいい。

最善の策を考え、センター試験よりも早稲田大学試験の対策を最優先した。

受験科目である国語、英語、日本史の3教科に絞り、深く深く勉強した。

決戦は2月。

そこまでに、実力を上げればいい。

だが予想以上に、精神的に辛かった。

11月の全国模試。


志望校・早稲田大学を記した自分の結果は、合格とは程遠いE判定。


「こんなの所詮、模試だ。早稲田の問題が解ければ問題ないはず」

そう言い聞かせても、どこか内心、不安が残る。

不安と闘いながら、とにかく今できることは、勉強をする、ということしかなかった。


2011年12月。

模試の結果をもとに、ある日の夕方、担任の先生と母親、自分との3者面談が行われた。志望校を決断する時期だ。


担任の先生は、優しい表情で、僕の反応を伺うように言った。

「ん〜。どうしよっか。これだと、志望校の、早稲田は厳しいかもしれないなぁ。もちろん、目指すのは悪いことじゃない。けれども現実を考えたときに、少しランクを下げてみる考えは、ないかな?」


...ハイなんて言えるはずがない。


だって俺には夢があるから。


どうしても、男子チアがやりたい。

そのための方法は、早稲田大学に進学することしかなかった。


母サヨミが「そうですよね。やっぱり、、」と言いかけたところで、俺は母の会話を遮るように、口を開いた。


「いや、下げるつもりはないです。受けてみないと、わからないじゃないですか?」と生意気そうに、笑顔で言い返した。そして担任の先生を睨むようなまなざしで、続けた。


「滑り止め?も受ける気はないです!僕は"早稲田"に行きたい、ので」

しばらく沈黙が続いた後、「先生、すみませんね。もう少し考えてみますね」という母を横目に、俺のハートは燃えたぎっていた。


「受かってやるよ」


3者面談は終わり、母が運転する車での帰り道。

すでに日は沈んでいた。


助手席に座る俺から、口を開いた。


「おれ、さっき言った通りだから。悪いけど、早稲田しか受ける気はない。受けさせて欲しい」

「でも、あんた、もし早稲田に全部落ちたらどうするのよ!」


そう突っ込まれると、何も言えなかった。


今は落ちるかも、なんてことすら考えてなかったし、考えたくなかったから。

とにかく受かる未来を信じて、頑張るだけだ、と思って突き進んでいたから。


「その時は、その時だよ。そういう風になったら考える」


男子チアがやりたいがために、早稲田に執着していることは明かせなかった。


ちょっぴり恥ずかしさもあったし、「そんな理由で?」と仮に言われたら、思いのこもった夢を簡単に否定されたようで嫌だったから。


ただ、早稲田への執着心は、なんとなく両親には伝わっていたのだと思う。


「ケイちゃん、受かるといいね」


自宅に着き、車を停めると母は最後にそう言い、運転席を降りた。


俺も小さくうなずき、助手席を降りて空を見上げた。


蒲郡の夜空には綺麗な星空が広がっていた。

あっ、流れ星だ。


一瞬ではあったが、心の中で瞬時に唱えていた。


「男子チアの夢が、叶いますように」、と。


つづく
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第3話の登場人物 整理

ケイタ(俺)=筆者であり、主人公。愛知県・蒲郡市出身。豊橋東高校卒業。

マサト(父)=真面目で、固く、昔から厳しかった。読書家で勉強熱心。

サヨミ(母)=社交的で、勉強も遊びも大事にしなさい派。常々、友達は大切にしなさいと言う。好きな言葉は「かわいい子には旅をさせよ」

高校の担任の先生=常に優しく朗らか。クラスメートの前で怒ったことは一度もなかった。生徒の間では「仏」と呼ばれていた。

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