後先考えちゃダメ

※2020年7月に書いたブログです

ブログを始めた理由は大きく分けて2つあります。
1つ目は、ヴィッセル神戸所属の菊池流帆選手のnoteを見て感動したから。こんな文章を自分も書きたいなって。話すよりは書くほうが得意なので、誰かの背中を押せるような文章を書けるんじゃないかって思ったから。

2つ目は、自分の挑戦をみんなに知ってもらいたいから。これが1番大きい。どんな考えでどんな挑戦をしているのかを、今回のブログで書いこうと思う。

僕は今、プロサッカー選手を目指している。
これはサッカーを始めた3歳の頃からの夢であり、大学入学時には諦めていた夢でもある。
なぜ諦めていたのかを書くと長くなりそうなので、なぜ夢が再燃したのかを書く。
そのために、大学の3年と4ヶ月をさらっと振り返る。

学習院大学を選んだ理由は、現役で受かりそうかつ、1年生からスタメンで試合に出られそうだと思ったから。

現実は上手い人が多くて、途中からすら試合に出られない。ボランチの3番手から5番手を行ったり来たりする。ただ、サッカーは楽しい。縛られずにプレーできる喜びを思い出した。

2年生のときは絶対に途中から試合に出るマンに昇格。リーグ戦18試合中14試合くらい出たと思う。でもスタメンは2試合だけ。ちなみにどっちも負けてない。勝ちと引き分け。

3年生では、スタメンに定着。自分の中で密かに唱えていたスタメンで出ると試合に負けない説は、4節目で國學院に負けて日の目を見ることなく散った。
18試合中16試合でスタメン。でも、フル出場は1試合だけ。絶対途中で交代するマンの称号を獲得した。

自分たちの代になってアミノバイタル杯やリーグ戦が始まるとワクワクしていたら、コロナの影響で延期。お預けを食らっている。

大学サッカーでの自分はこんな感じ。

※ここから途中まで学習院大学サッカー部の部員ブログで書いた内容と重複します。

高校サッカーはいい思い出がほとんどない。
1年生のときは、とにかくがむしゃらにやってた。走れるやつが評価されやすい環境だったから、走りの得意な自分は割といいスタートをきれた。5月くらいにはAからEまである中で、Bチームにあげてもらって、夏休みで4回合宿に行くというハードスケジュールを乗り越え、調子も良かったから評価も急上昇。期待値も込みで9月からはトップチームでプレーすることになった。
ここからが地獄の始まりだった。トップチームにいる30人弱の中で自分が1番下手だった。技術的には通用する部分もあったが、心技体の総合値は1番低かったと思う。監督にはプレー面で怒られる、先輩には練習の準備が遅いと怒られる。笑っちゃうくらいに心はズタズタだった。

当時の1日のスケジュールとしては、7時半に起きて、遅刻寸前に学校に滑り込む。一限から四限までは全部寝て体力の回復に努める。五限と六限は練習のシュミレーションをして素早い準備と怒られないプレーをイメージする。おかげで学校の成績は急降下していった。グランドの関係でトップだけ18時から練習することが多かったので、2時間くらいを憂鬱な気持ちで一人で過ごす。そして、練習では消極的なプレーに終始し、サッカーを楽しめない。
そして、家に帰るころには疲れ切っていてすぐ寝る。みたいな感じ。

オフの日は仮病で学校を休むこともあった。笑
あんまりいいことじゃないのはわかってるけど、たまに休まないと心も体ももたなかった。

こんな感じで高校生活を送っていると、選手権に出たくて八千代に入ってきたはずなんだけど、いつの間にか楽しく縛られずにサッカーしたいって気持ちの方が強くなってきた。

高校3年のインハイ予選が終わったタイミングでBチームに落とされた。このとき落ちる6人くらいで集められて監督に直接伝えられた。
監督の話を聞いているとき、周りと同じように悔しそうな悲しそうな表情を意識しながらも、内心嬉しかった。
やっと自由になれたと思った。

ここからは八千代Bとして県2部リーグに戦いの場を移した。高校に入って久しぶりにサッカーが楽しかった。Bでは替えの効かない選手だったから。試合前日の緊張してなかなか寝れない感じを初めて味わった。Aでコンスタントに試合に出ている選手はこれ以上のプレッシャーと毎回戦っていたことをそのとき知った。ここから選手権が終わり、リーグ戦が終わる12月11日までトップにあがることはなかった。後悔がないとはいえないが、大きな目標と引き換えに心の平穏を得たことになる。

高校最後の選手権は千葉県予選の準決勝で市船に0対1で負けて幕を閉じた。スコア以上に内容は完敗だった。
試合終了の笛をスタンドで聞いた。小さい頃からの夢だったプロサッカー選手はとても現実的な夢だとは思えなかった。もう手が届かないところまでいってしまったと思い込んでいた。

※ここからはオリジナルです

大学に入って考え方が変わった。経歴に囚われる必要はない。

夢を現実逃避の道具に使うな。再現性のあるプラン、具体的なアクションなしに語る夢なんて子供のおままごとだ。せっかく叶えたい夢見つけたんだろ。叶えようや。叶えたい夢なんてそうそう見つかるもんじゃないよ。徹底的に現実的になって叶える方法見つけよう。夢はファンシーに、行動はシビアにだよ。
武井壮さんのTwitterより

僕は大学3年生の11月になるまでずっと子供のおままごとをしていた。

今までは無意識のうちにレールの上を歩んできたと思う。夢はいつまでも追い続けていい。覚悟があれば。その覚悟がなくなったとき、僕はサッカーを辞めるだろう。

夢以外の現実を受け止める勇気が、夢を叶えられる可能性が1%でもある中で必要なのかって話をしたい。

4年の6月になってから就活を終える大学や高校の同期がだんだん増えてきた。隣の芝生はとても青かった。何も決まっていないことからくる焦りや嫉妬で人に会いたくない時期もあった。

サッカーに区切りをつけて、頭を切り替えて、やりたいことを見つけて、内定をもらってというめちゃくちゃ凄いことを当たり前のようにやってのけるみんなには尊敬の念しかない。いつまでもサッカーにしがみついている自分があまりにも子供に思えてきて、自己嫌悪に陥ることもあった。

でも、もしも自分が、一般企業に就職する選択をした場合、一生後悔し続けるのは目に見えている。「おれ本当はプロになれたんだよな」とか思いながら、残りの人生を生きたくないし、そんなのダサすぎる。だから納得できるまでは挑戦し続けることにした。

もしも、サッカーが生活を支える柱にならなかった場合、どういう人生を歩んでいくのかを考えた方がいい。その考え方はすごくわかる。でも、それはならなかった場合に考えればいい。
結果がわかる前から考えてしまうと、楽な選択に逃げてしまうと思うから。
なんだろう。表現が難しい。サッカーだけやってればいいって思ったことは一度もない。サッカーだけだと思われるのは嫌だしね。でも、将来のことを考えて不安になって、挑戦せずに諦めてしまうことを避けたいって思ってる。


後先考えて行動しろと言い聞かせるのは一般的だが、あえて自分にはこう言い聞かせたい。
「後先考えちゃダメ」と。

最後まで読んでくれてありがとうございます🙇‍♂️
計画的にやるのは苦手なので不定期になると思いますが、また書くので読んでくれたら嬉しいです!!



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