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2020清里合宿

恒例の年始の清里合宿。いつもの仲間たちと、昨年度を振り返り、一年の計を立てる。

清里は、その年を占うような風景を見せ、学ばせてくれることがある。その備忘録。

3日目の最終日、個人での内省の時間。

ゆったりと歩きながら、今の現実、ビジョン、ビジョンに向け動き出すことを止める本能の声に耳を傾ける。毎年豊かな気付きをくれる大事な時間。

そのはずだったのだが、今年は勝手が違う。

きっかけは携帯電話の行方不明。気付いたら手元になかった。

致し方なく、自由に使えるこの個人の時間を使って探すことに。

宿泊していた部屋に戻る。ない。最後に見たのは・・風呂場?ここから少し遠く時間がかかる。バスタオルを洗濯籠に入れた際、一緒に投げ込んだ気もしてきた。どうする?この後気にし続けるよりは今探しに行こう。風呂場に行く。ようやく見つかる。この時点で内省モードなどどこかに吹っ飛び、ほーっと息をつく。


今年の清里は、受け入れるよりは前に進む、少し急いだような感覚を持つことが多かった。

呼吸も浅い。

途中から自分の状態に気づいていたし、どうにかして呼吸のリズムを整えようとするけど、コントロールしようとすればするほど、上手く自分が扱えなくなる。その繰り返し。

極め付けの携帯電話紛失。今年の清里は僕にゆったりとした内省の時間をくれないの?

そんなことを考えながら風呂場からホールに戻る道すがら、ふと問いが頭に浮かぶ。

「この状況は僕になにを届けようとしているのだろうか?」

ゆったりした内省の時間の始まりのはずが、その時間も断絶され止む終えず早足で携帯電話を探しにいく。

自分に忙しい清里。

いつもならあまり気にしない。呼吸が浅い時は浅いまま、その状態で世の中に関わりを持つ。

「この状況、日常での切替に困惑している自分へのギフトかも?」

そう思えた瞬間、ぱっと視界が広がるような感覚を覚えた。
視界が広がると、少しずつ呼吸も整う。

意識の揺れの豊かさをどこかで感じながら、残った時間外に出て深呼吸する


今年は今まで以上に、自分自身の時間の断絶を感じる日々が続くだろう。

急く心を否定し、今ここから逃避したくなる時もあるだろう。

そういう時は自分にこう問いかけようと思う。

否定したい、逃避したい、この急くような状況は僕たちになにをギフトとして届けてくれているのだろうか

そう思わせたくれた清里の時間だった

#日記  

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