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🔲 源氏物語の巻末の言葉「末摘花の巻」5

 

「源氏物語」の最後はどのようになっているか、興味をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。五十四帖の終わりとしてはとてもあっけないものなんです。


思すこと、さまざまにて、「人の、かくし据ゑたるにやあらむ」と、わが御心の、思ひ寄らぬ隈なく、落し置き給へりしならひに」とぞ。 

古典文学大系 五 435・436頁

浮舟を連れ戻しにやった小君の残念な報告を受け、源氏は、考えます。「誰かが浮舟を小野の里に隠しおいたのではなかろうか。自分が宇治に、浮舟を、昔見捨てておいた体験でお考えになされる」ということです。となっています。

長編の大作ですから、ハッピーエンドの結末とか、救いようもない悲劇の中に放り込まれるような作品を考えがちな読者にとっては、何ということもない終わり方でけじめがつかない中途半端なんですね。「源氏物語」のそれぞれの巻末、その結びの言葉は、物語の語り手が、女房であることが確認されるようになっているようです。光源氏の忍びごとを語り伝えるというこの物語の設定を守り続けているんですね。

さて、「末摘花の巻」の巻末は


かゝる人々の末々いかなりけん。

古典文学大系一 268頁

となっています。「かゝる人々」とは、末摘花や夕顔や空蝉なんです。それらの方々の行く末はどうなったのでしょうか。お話の続きは、また、してあげますねというのです。

「源氏物語」は、物語文学なんですね。私たちが映画や小説などに求めるものとは違った世界があるようです。

テーマだとか設定だとか執筆の動機だとか、とにかく厄介なことは物語の世界では大した意味がないようですね。女房達が自分たちの生活の中で気の向くままに楽しむといったような気軽さが物語の世界なのです。そういう女房達の要望を受けて書き続け語り続けたのが紫式部だったのです。

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