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🔲 北山の風景と落差の恋物語「若紫の巻」2


北山の山寺へ、病気療養のために出かけた青年源氏は、都とは違った山里の春の風物に心を奪われてしまいます。遅咲きの山桜の美しさは今まで見たこともないものでした。

僧房からの眺めも興味深いものです。つづら折りの下の方に小柴垣の風流な住まいの家も見えます。供人に聞くと、僧都が二年ほど籠っているところだと答えます。でも、美しい女の子などが何人か見えます。女房や女童もいるようですという供人もいます。どんな人が住んでいるのか、源氏の好奇心は掻き立てられるのです。

そこで、京の方向を眺めながら、源氏は、つぶやきます。


「はるかに霞わたりて、四方の木ずゑ、そこはかとなう、けぶりわたれるほど、絵に、いと、よくも似たるかな、かゝる所に住む人、心に思ひのこすことは、あらじかし」 

古典文学大系一 179頁・180頁

こんなに美しい自然の風物の中に住んでいる人はどんなに幸せな人だろう。どんな女なんだろうか。源氏の好奇心は、そこに住む人、女へと移ってゆきます。(実は、このことに供人たちは悩まされているのですが)こんなに美しいものに囲まれている人(女)には悩みなどないだろうと勝手な推測をしてしまいます。

というのも、源氏が、苦しみの中で日々の生活をしていたからにほかなりません。幼少期に受けたいじめのトラウマ、母のいない苦しみ、葵上との満たされぬ夫婦仲、六条御息所との堕落してゆく愛、禁断の藤壺への思慕。数えれば切りがないほどの苦しみの体験の中に源氏は生きていたのです。18歳の青年源氏の苦難の人生。「かゝる所に住む人、心に思ひのこすことは、あらじかし」源氏の心からのつぶやきです。源氏は、理想郷をそこに見たのでした。


しかし、物語の作者、紫式部は、現実の厳しいアイロニーを突き付けるのです。そこに住んでいたのは、実は、夫と娘を失って、8歳の孫と寂しく暮らしている年老いた尼だったのです。死は、迫り、年端もいかぬ孫娘の行く末を案じて悲しみの中で生きているのです。

北山の麓の晩春の美しい自然の中で暮らす人への憧れを持つ源氏と、山里の厳しい運命に翻弄されて涙する年老いた尼と少女。この落差の中で「若紫の巻」の恋物語が語られてゆくのです。

物語作家、紫式部の構想力に圧倒されます。こういう落差の中に恋物語を語ることが物語のリアリティーを強めるのです。そして、より豊かな、幅のある物語となり、重層性が形成されていくのです。




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