1,『未来の地平線では』

未来の地平線では、、、。
私は未来を知らない。でもこれだけは言いたい。僕は未来を明るく闊達に歩きたい。その為の言葉を紡ぐ事は無駄かもしれない。でも内なる戦いのある種の告白的な文章なら意味があるかもしれない。僕はこの文章を投げる。君へ、君達へ、世界へ、国家へ。
そして、、、未来の地平線へ。

1,内なる言葉とシステム

僕は簡単にシステム批判は出来ないと思う。何故ならば助かる人間がシステムによって増えるかもしれないからである。その中にクズが増える(宮台真司)と言うのは否定は出来ないが、簡単にシステムは批判出来ない。
ただ内なる言葉だけは個人で紡ぐ事が出来る。これは社会では表現と言われてる。言葉なんかどうでも良いがそう言う分類だけはある。システムの内側から逃れる事は容易ではないが内なる言葉を紡ぐ事は出来る。その紡がれた言葉は世界を作る。僕はそう思っている。
内なる言葉と通じる部分がある物を今書こうと思ってる。その時に何を出すか。僕はそう言われたら、黒澤明『生きる』、アニメ『鬼滅の刃』を挙げる。この作品等は主人公や主人公を取り巻く人達が内なる言葉に従って生きている姿を描き出した作品だと言える。勿論僕はこの二つの作品には感動した。涙した人も多いだろう。

2,黒澤明『生きる』論

黒澤明『生きる』の説明をすると、市役所の市民課長として平凡で退屈な毎日を過ごしてる渡辺課長がこの映画の主人公である。渡辺課長は体調が悪く医者の元へ診察に行く。渡辺課長は診察の待合室で、ある患者の一人から病院に纏わる噂話を聞かされる。
『あの患者は胃がんなんです。だけれども、医者は胃がんの時は軽い胃潰瘍と言うんです。胃がんと言うと死期宣告も同様ですからね。私も言われたんです。でもどうも胃がんらしくて。胃がんになると、喉が渇く。水やお茶がやけに美味しく感じる。それから背中が痛くなる、、、。』渡辺課長はある患者から胃がんの症状を説明される。
渡辺課長は恐怖に震えながら診察室に入り、医者から軽い胃潰瘍と診察される。勿論これは胃がんである。渡辺課長は自分が胃がんである事を悟り、トボトボと病院を出る。
ここでシーンは居酒屋のシーンへ。小説家が文章を書きながら、酒を飲むシーンの後、小説家は立ち上がって、
『ちょいと薬を買ってくる。切れたんだ。』と店主に報告する。強い薬を買ってこようとすると、渡辺課長は小説家にその薬を差し出す。貧弱な爺さんが強い薬を持っる事に驚いた小説家は渡辺課長に話かける。
『いえいえ貰えませんよ。何で貴方そんな薬持ってるんですか?そもそも貴方そんな薬飲んだら死にますよ。まさか、、、。』
『いえいえその、つまりその、私はその、ー以下省略ー』
渡辺課長は口下手なので、その、とか、つまり、を、多様するので何を言ってるのか分かりません(笑)。しかし、その不器用さが共感を覚えるポイントなのかもしれません。閑話休題。
要約すると、渡辺課長は自殺をしようとしたものの失敗した。そこで小説家にこんなお願いをする。私は胃がんなので短いです。産まれてこの方遊んだ事がないので、教えてください。と。
小説家は胸を打たれて、こう言った。
『素晴らしい。貴方は胃がんによって初めて生きようとした。その純粋な精神が大切なのです。』と。
そこで渡辺課長と小説家は夜の街に繰り出し始める。渡辺課長の生つまり『生きる』事がここから始まるのである。
喫茶に居酒屋にBARにキャバレーに、、、。小説家は色々な場所へ渡辺課長を誘う。渡辺課長は疲れながらも楽しんでる様子。
僕が好きなシーンがここで一つある。渡辺課長と小説家が行った先のキャバレーではジャズピアニストの歌と演奏で皆がダンスをして盛り上がっている。一曲終わった時ジャズピアニストは立ち上がって、皆に言う。
『何かリクエストはないですか?』
すかさず渡辺課長が手を上げて、
『命短し恋せよ乙女』
と、リクエストする。
ジャズピアニストは大正時代のラブソングですねと笑いビールを一口含んでから、演奏を始める。皆が前奏が終わって踊り出そうとした時、渡辺課長は涙を流しながら、歌い始める。
『命〜短し〜、、、』と。皆は黙りこくる。小説家は泣きながら渡辺課長の方を見る。志村喬の渾身の演技に鳥肌が立つシーンである。
渡辺課長はこの夜から遊び周るようになる。人生の謳歌を始めたのだ。渡辺課長はずっと欠勤をしたまま遊びに熱中する。三十年間無欠勤だった渡辺課長が欠勤続き。勿論、家族や部下は心配する。何があったのかと。部下の間では渡辺課長は胃がんなんじゃないかと噂が回っている。遊びに熱中し始めた頃、今度は市役所の若い女の子と遊ぶようになったので、家族は新しく恋人が出来たのかなと心配する。家族は父親の遺産相続、新しい恋人、死んだお母さんの事を心配し出す。その不安に囲まれて生活する中渡辺課長は一発奮起して、ある事業を成功させようと決意する。出勤すると久しぶりの渡辺課長だと周りの部下から注文を集めながら、席へ座る。そしてある資料を取り出して部下にこれを成功させるぞと呼びかける。その資料には、暗渠修理及埋め立ての文字が、、、。
ここでシーンは渡辺課長の葬式に移る。渡辺課長は診察を受けてから五か月後に死ぬのである。渡辺課長の葬式は市役所の人間が集まって開かれた。助役、何とか役、何とか課長と、偉い顔触れが、集まって色々なポジショントークが葬式全体を覆っている。助役は、
『公園を作った功績は、土木課長のおかげですな。そして〇〇課長、〇〇部長も良く頑張られた。まぁ市民課長の渡辺課長も頑張ったが、やはり公園を作る為に尽力したのは、〇〇課長のおかげですな。ワハハハハハ。』市民課の人間は渡辺課長が一番情熱を持ってた事、そして周りの偉い人間から邪魔された事を知っている。その言葉は口に出せない。悔しさと共にその言葉を呑むしかない。そんな顔色が窺われる。助役が偉そうな事を言ってる時に、記者が来て、助役に質問をする。貴方は選挙に出るんですか?とか、公園を作る為に尽力したのは渡辺課長じゃないのですか?とか。ジャーナリズムは権力よりも弱い。ただ真実を突く。助役は誤魔化す。自分のために。口を閉ざす。既得権益の為に。記者は残念な顔をしながら帰って行く。『皆は本当の事を分かってない』と助役。クズの極みである。助役はあからさまに渡辺課長の事を馬鹿にしている。でも周りの人間は逆らえない。悔しさと共にその言葉を呑むしかない。周りには完全に官僚の考えに染まってる人間、酒を呑んで忘れようとする人間、俄に笑いながら助役をバレないように馬鹿にする人間、渡辺さんを擁護しようとする人間。様々である。酒を呑みながら時と助役が居なくなるのを待つ。公園を作った地域の地元の人々がお線香を上げに来た。子供をおんぶしたまま啜り泣き、お線香を焚く。渡辺さん、渡辺さんと皆が口にする。お偉方は居た堪れなくなり、市民課の人間だけが葬式に残る。ここでも渡辺課長を元に色々な話が飛び交う。市役所のシステムは一人で動かないようになってると力説する者、渡辺課長が一番尽力したと言う者、助役の言う通りだと言う者。この時点では市役所と助役の意見に賛成する者が多い。ずっと『何かなぁ。どうも違うんだよね。何かなぁ。渡辺君はそうじゃないんだよね。』とボヤいて、酔いが進む内に威力を増す眼鏡を掛けたおじさんが、皆の意見をどんどん素直にさせる。渡辺課長の思い出話に花が咲く。助役に妨害された、チンピラに囲まれた、倒れそうなのに情熱を持って動いた、他の課の課長にお願いをする時うんと言うまでずっと座ってたとか、公園に行った時倒れそうだったとか。皆渡辺課長が不幸な人間だったと憐れむ。胃がんと分かっててあれだけ一生懸命に仕事をしてるのに助役に妨害された渡辺課長は不幸だと、皆が思ってた。実際には違った。葬式にお巡りさんがやって来た。お巡りさんは昨日のパトロールで渡辺さんを見かけたという。
『昨日私は渡辺さんを見かけました。ブランコに楽しそうに乗りながら、終始柔かな表情をして、歌を歌ってました。』
そうお巡りさんは言った。渡辺課長は幸せだったのだ。渡辺課長はブランコに乗りながら、命短し恋せよ乙女を歌ってた。お巡りさん曰く幸せそうだったらしい。ここで葬式に参加してる人間は困惑する。それを横目にお巡りさんは仕事に戻る。
ここでどんどん酒が進む。寿司も出てきて、思い出話と自分がどれだけ悔しいのかを皆言い始める。渡辺課長の分まで頑張ろう。そして渡辺課長の悔しさを晴らそう。邪魔した奴はふざけるなよ。そいつを許さない。と、言った時、先程の眼鏡を掛けたおじさんが、
『助役と言えーーー!!!』
と、怒鳴る。皆は助役に忖度して柔らかい事しか言わない。ここで葬式は黙りこくる。ただ皆泣きながら、小言を言いながら、酒を呑みながら、肩を叩き合う。明日から渡辺課長の為に渡辺課長の悔しさを晴らそうと。
ここでこの映画のストーリーは終わる。渡辺課長の生きる姿を観て僕は感動した。本当の意味で生きる事は難しいのである。ただ、内発性だけで生きるのは楽しい。
僕は自分自身に強い力が宿った瞬間を覚えてる。忘れもしない、中2の秋。坂口恭平『独立国家のつくりかた』を読んだ時である。彼の本には強い刺激がある。その強い刺激に僕は撃たれた。この本の中にはモバイルハウス、0円ハウス、土地所有批判、新政府と刺激的なワードが並んでる。この本を読んだ瞬間から僕は生きる事を始めた気がする。
坂口恭平に影響を受けた理由が明確にある。僕はある意味坂口恭平に運命を感じたのだ。坂口恭平『独立国家のつくりかた』には小さい頃からの体験談から始まる。そしていきなり新政府と言う概念が冒頭に出る。0円ハウス、お金がなくても生きていける、坂口恭平の仕事話、モバイルハウス、新政府物語、土地は所有出来ない。ラディカルな主張が散りばめられた本に僕は魅了されて行く。中2の頃のバイブルであった。そこで僕は思い出したのだ。8歳の時の夢のような奇跡的な瞬間を。遠足の日の出来事だった。小学生の頃の遠足は雨が降ったら校内で遠足する謂わば校内遠足の日僕は人生を決定する言葉に出会った。ある男の子が仲間外れにされていた。僕は男の子に近づいて、一緒にお弁当を食べようと話をした。その子は僕にこんな話をしてくれた。それは僕の家はお父さんが建てたんだよ。と。僕はその時、家を自分の手で建てる事に憧れを抱いた。そこから僕の今に繋がっている。僕は今はっきりとした確信があるのだ。
人間は生きる事を確信した瞬間、エネルギーが湧く。僕の経験から言える事はこれだけだ。つまりお金とか得とかそんな世界ではなくなる。僕はそうやって生きている。この確信が僕の報酬である。確信して前に進む事だけが僕の仕事だ。
僕は思う。システムそのものを僕は批判したい。システムは人を駄目にする。僕はアクションの仕方を自分なりに作っていくしかない。その純度を上げた仕事が僕の使命になると思う。そしてそれこそが僕の仕事である。


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