それぞれの青春論 16歳最後に語る青春とは何かの一論考

それぞれの青春。この言葉を意識するようになったのは、僕が住んでる場所ではない校区の中学生をよく見かけて、それぞれの青春ってあるんだなと思ってから、この言葉を意識するようになった。

1、僕が通ってた中学校の校区外の中学生は、僕にとって完全に他者である。

僕がたまたま住んでた校区で行く中学校は決まる。そんなに変わる事はないかもしれないが、でも人それぞれに個別性は何かしらあると思う。
だから、僕が住んでる校区外の中学生は完全に他者であると言える。学校の雰囲気も分からないし、先生も知らないし、校則もなんとなく検討は付くけど、完全に未知である。なので、僕にとって隣の街の中学校は完全に未知の世界とも言える。

2、普遍的で個別的な悩み

僕は何も知らない。ただそれなりに学校にも行って、途中で不登校になったのだが、学校の雰囲気はなんとなく知っている。でも、隣の街の中学校は何も知らない。僕にとって完全な他者の隣の街の中学生は僕がその中学生の横を通り過ぎらない限り、何も働きかけを行わない。でも、ある日の散歩で、ある中学生は僕に働きかけを行って来たのである。

3、公園で野球の練習をしてる、中学生をみかけて。

僕はその日は散歩をしていた。ぼんやりと街の雰囲気を感じながら散歩するのが僕は好きだ。その日ぼんやりと建物を観て歩いてると声がする。野球やってる人間独特の掛け声である。僕も中1まで野球をやってたので懐かしい思いに浸って歩いてる。公園の前。野球の練習をしてる中学生をみかけて僕は中学生の時をついつい考えてしまった。この中学生は僕が中学生の時の事を振り返る為に、働きかけを行ったと言いたい程、この中学生の動きと懐かしさは完璧であったと勝手に勘違いを膨らませている。

4、これからに向けての僕の歴史

僕は8歳の頃校内遠足でいじめられてる友達を助けた。その友達が僕のお家はお父さんが作ったんだよと話をしてくれて衝撃を受けた。その時僕の頭に家を建てるという言葉が始めてインプットされた。秘密基地、空き地、近所の医者の子供の2階建ての秘密基地、今振り返ると前衛建築的な秘密基地を弟と建てたりしてた。
ソフトボールをしたり、野球をしたり、色々な事を経験して、14歳になった。修学旅行と友好関係と漫才と音楽で楽しんでた頃僕の頭に家というのを意識させられる事件が起こった。秋の頃父親から渡された本を僕は何気なしに読んだ。その本は坂口恭平『独立国家のつくりかた』という本だ。僕はこの本をバイブルのように読んでた。学校で独立国家のつくりかたと題されてる本を読む中学生。僕は一気に8歳の頃を思い出した。

5、それぞれの青春論ー絶望かもしれない人生を歩む僕たちに今だけでも希望の言葉を送りたいー

今だけでも希望の言葉を述べるべきだ。僕も含めて君はどう生きたいのかが今この一瞬、一瞬で問われている。僕たちは何をしたいのか。その為の方法論を、技術を、恥を、後輩達に伝える為にどんどん表現して行こう。内から湧き上がる力を信じて。僕達ならずっと希望の言葉を述べ続けられるはず。僕はそう信じている。

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