住民トラブルは戦争の縮図@隣人に冤罪で警察を呼ばれて絶縁した私の実例から、ロシア/ウクライナ等、戦争をしている国の人を頭ごなしに攻撃するヘイトに反対
ロシアによるウクライナ侵攻 (ロシア側では別の言われ方をしてるかもしれませんが) が始ったのに伴い、SNS等では、ロシアやベラルーシ出身者やそのゆかりの人が頭ごなしに悪者扱いされているような例が散見されると思います。私はこのようなやり方は良くないと思います。指導者や国の方針と個人の考えは違うからです。私の隣人トラブルで隣人と絶縁した実体験から、無実であるのにも関わらず悪者呼ばわりし、攻撃してしまうと取り返しがつかないと強く警告したく思います。
私の隣人トラブル~やってないことを犯人扱いされ警察に通報された件
当事者が特定されないよう、あえて事実を少し書き換えて文章を書いています。隣人に警察を呼ばれたこと、私は実際悪くないと示したこと、そのやりとりは穏やかではなかったのは事実です。
以前、動物に関する騒音トラブルがあり、私が犯人扱いされたことがあります (冤罪)。当時私が住んでいた物件で、動物由来と思われる音がうるさいという苦情があったとのビラが配られていました。1年近くその状態が続き、管理会社から当該の住民が困っているとの電話がかかってきました。もちろんうちにそのような動物はいませんので、私は違うと回答し、生活音等も念のため気を付けてください等と言われましたが、内心軽く流していました。このような状態がしばらく続き、当然自分は該当しないと考えていると、ある日の夜、うちに警察の方がやってきて、苦情が入っていると言われました。詳細を確認し、何かの間違いで、私は該当しないし、警察を呼ばれるようなことをした覚えはないと主張をし、大変遺憾であるので、通報した方に抗議をしたいと話しました。警察の方からは、動物の件は該当しないとして、生活音でトラブルになることもあるので、周りに配慮してください的なことを言われました (私としては、周りが生活に支障をきたすレベルの音を立ててないと思います。これ以上警察の方からの追及はありませんでした)。
この対応を受け、私は当該の人物に不動産会社を通じて正式に抗議しました。①やっていないことをあたかも私がやっているように警察に伝えたことは断じて許せないこと (私の社会的名誉を傷つけ得る迷惑行為だと感じた)。 ②当該人物が困っている動物の音を具体的に示せておらず (音声データ等がなく擬音語で伝えられただけなので)、生活音などについても言及される等、話がややこしくなった。③その音があったのは事実として、発生源が私の側にある証拠がない (実際やってないのであるはずがないと思うが)。④根拠に乏しい状態で私が悪いと一方的に決めつける非礼⑤本件について警察がうちに来るまで当事者や不動産会社から私に何の連絡もないというコミュニケーションの問題。
相手側は、長らく苦情を言い続けてなお無視され、我慢の限界だったのかもしれませんが、私の立場からすると、「私は冤罪を押し付けられた状態」で、相手は、「(事実を捏造、過剰解釈して) 因縁をつけてくる迷惑な狂人」という印象になります。私側が事実と認められない案件で警察を呼ばれるのは、脅迫、名誉棄損に通ずる迷惑行為と私は感じます。当該人物から書面でも良いので謝罪があるまでは、握手する機会も持ちたくないのが私の正直な意見だと伝えました。
その後、実際相手側は怒っていました。当人の持論でお前は悪いと責められました。嘘をつき、隠すこともできるのではないかと強く非難されました、しかし私には身に覚えがありません。なぜなら私はやってませんから。私は謝ることは何もないし、そもそもやってない、人違いなのではないかという主張を繰り返すだけです。相手は近視眼的で、なかなか一度悪者と決めた相手 (私) を、実は悪者ではないと認めることができませんでした。このような対応をされると、私の対応としては、「いい加減にしろ、ふざけるな」といった具合になります。やってないことを責められている状態なのですから、当たり前の対応だと思います。言い方等もあったかもしれませんが、とにかく、私から見れば、相手の対応は「失礼極まりない狂人以外の何物でもない」と感じました。お互いが自分が正義だという主張ですから、話は平行線にしかなりません。この状態で譲歩などあり得ません。
ちなみに、私は、実際はやってないけど面倒だからとりあえず謝って、自分が悪かったことにしてその場を流そう等という考えは一切ありません。いくら相手が怒っても、悪くないものは悪くないわけですから、冤罪は断固拒否します。(相手の立場を考えれば、私が正論を返して腹が立つのを理解した上で、申し訳ない等と相手に譲歩したら別の人がやった責任を私が受けることになるので、俯瞰してみた上で、どうしても拒否せざるを得ません)。もしまた相手から警察に同じような話をするなら、私からも警察に相談したり、裁判で争うことも覚悟してました (実際は、やらずに済んで良かったとは思います)。
補足ですが、警察への相談と、法廷での争いを覚悟していたため、(直接対峙する最終局面を除き) 私は管理会社を窓口として、メールでやりとりをしていました。管理会社という第三者を通すことで調停者の役割を果たしてもらうのと同時に、法廷で争う場合の証人となってもらう意味があります。口頭だと、言った言わないが証明できないので、証拠として残すために極力文章を使いました。冤罪である以上、相手方の工作で私が悪いことをやったという事実をでっちあげられるのだけは絶対に阻止しなければなりません。そして、当該住人が管理会社を通じて騒音を抗議したように、私もその当該住人を管理会社を通じて抗議しました。すると意見が異なる抗議が二件になり、調停者としては片方のみの意見に寄り添う対応が難しくなります。すると当該住民への管理会社の対応が (私から抗議する前と比べ) 相対的に引いた対応となり、相手の行き過ぎに対する抑止力となります。
結局、仲裁者の努力もあり、私が悪くないことには納得してもらえましたが、このやり取りの後、絶縁という形になりました。私の立場からすれば、実際はやってないのに悪者扱いされ、警察を呼んだうえで非難されたので、「一言ごめんなさいと謝って何事もなかったとはならない」と思います。結果悪くなかったと納得するまでの過程で、相手がやった非礼が消えるとは思いません。それをしっかり詫びた上で、誠意ある対応をするのが筋だと私は思います 。もし、軽く許すと舐めれた人間関係になるので、そんな人間関係なら捨てる方がマシだと私は思います。むしろ、こちらから無理に要求して、仲直りの機会を作ってあげる必要がないと思うし、相手から頭を下げて筋を通す気がないなら、この相手を関わってはならない人 (気違い認定) して距離をとるほうが良いと考えました。隣人レベルですら、こんなことが起こり得ますし、決して私だけに特異的な例ではないと思います。冤罪で悪く言った上で、実力行使までされたら、もう関係は簡単に元には戻せないと思います。これはある意味戦争の縮図をみているように感じました。スケールの違いこそあれど、戦争を行っている国の言い分とよく似ていると思いませんか?
第三者的に俯瞰してみると、今回の場合の交渉とは、双方共に「相手からの謝罪」だけを受け入れる歪なものです。私は冤罪で責められていると思っており、相手は頭ごなしに私が悪いと決めつけている。お互いに相手が悪いことを前提としているのです。お互い自分が被害者と考えています。当然各々の立場で自分の正論を主張するので、お互い相手に酷いことをされているように感じます。もちろん議論がかみ合うことはありません。この状態では、穏便な話し合いなど不可能です。第三者も交えて調停するしかありません。この点も戦争に通じる部分だと思います。
平和という観点で。戦争しかけた~国の人は悪い奴、的な (正義を掲げた) ヘイトは、むしろ対立を助長すると思う
上述のような私の実体験を踏まえて、戦争やってる~国の人は悪い奴的な叩き方は、私を冤罪で悪者扱いした人と似ていると思います。国の指導者らや軍隊が戦争に向かうことがあっても、その国の人がそれを望んでいるとは限りません。もし戦争を望んでいない人に、お前らは間違ってるとか、悪いやつだとか、汚い言葉を浴びせて (それが正義と思いながら) 非難すると、相手方から見れば自分を守るために、むしろ攻撃を正当化する理由になり得るでしょう。それでは逆効果だと私は思います。
構図まとめ (共通点@私の隣人トラブル vs 戦争ヘイト)
相手方から迷惑な音 (動物) があった ≒ A国とB国が戦争している (いた) という事実がある
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音の原因が私と決めつけ警察を呼ぶ ≒ A国/B国由来の人だからと、頭ごなしに悪者扱いする
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叩く側は自分の正義を主張する一方で、叩かれる側は実際に自分はやってないので「なんで?」と思い自分を守る対応をする。このようなやりとりは、お互いに自分が正義の立場で正論を言っているので、決して相いれない。
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エスカレートして実力行使が起こった後、仲良くなんてできると思うか?という話。
ヘイトが向いても仕方ない例もあると思います。例えば、①相手が国の指導者 (その国の象徴的存在となるのである程度仕方がない) ②実際に自分や家族が被害にあっており、今非難している相手が、実際にそれを実行 (指示/主導も含め) した人という場合ならば、ヘイトが向いても仕方ないと思います。一方で、今目の前にいるその人らと同じ国の人は、①②や、そういう人と同じ考えを持っている人でしょうか? 私は違うと思います。同じA国人にもいろんな人がいます (私は変人と言われることが多いので、マイノリティ扱いされることも多かったから、周りは自分とは考えが違うと思うのが私にとって当たり前という視点なので少し特殊な例かもだが)。仮に反対意見を持っていても表に出せないこともあるかもしれません。第三者がヘイトを向けるのはやめるべきだと思います。特に、第三国にいる自身が当事者ではない一般市民が正義の立場で当該国の一般人を非難する例。誰のためにもならないし、何の解決にならないでしょう。
私は、平和を訴えるなら排除より握手が良いと思う
私としては、「お前らの国は悪いことしたからお前らは悪いやつ」的な主張は良くないと思うし、悪いやつがいる国の人なので排除する、等と言われたら、逆にひどい扱いを受けている等という気持ちになることもあると思います。申し訳ないと思ったとして、その人たちが謝ったり反省したり申し訳なさそうな態度をしたとして、いったい何が解決するのか、と思います。過剰な半日教育をする国でそれを率先してやるような人にも同じことを思います。先の隣人トラブルの場合、私が謝っても何も解決しないでしょう。なぜなら私はトラブルの原因と関係がないので。同じ理由で、~国の人を排除したとして、私の隣人トラブルのように、むしろ腹を立て、対立する方に心が傾くこともあるかもしれません。
もし平和を訴えたければ、対立する国の人同士で握手とかしたらいいんじゃないの? と私は思います。特にスポーツ。対戦拒否するよりは、戦争してる国の人同士が悪手する写真にNo War等と加えて世に出すほうがメッセージ性が強いと私は思います。一般人が一般人に私刑という名の身勝手な正義を公使するのではなく、仲良くしたいことをアピールして指導者らや別の国民に見せる方が効果があるのではないかと私は考えます。別の観点から言えば、GoogleやApple、Microsoftなどのプラットフォーマーは、当該国で使えない状態にするよりは、使うためには平和広告が強制表示される状態のほうが (思想統制と当該国の面子潰し、位置情報等の情報を把握しやすいという意味で) 有効に働くのではと思うのです。現代は情報社会ですから、平和を目指すならば、一部の国を排除するより、平和を目指してます的な姿を積極的にメディアを経由して聴衆に見せるほうが効果が高いのではと私は考えます。