見出し画像

【寄稿】フォール・韻・ラブ【コラム】



※このコラムは、2020年11月ごろから書きはじめ、
「ヨセマイクの考える部屋」さんに寄稿させていただき、2021年6月に掲載され、
さらに今月、加筆修正したものです。
そのため、一部、情報が古い部分がありますが、ご了承ください。
ヨセマイクの考える部屋さん、掲載ありがとうございます!

掲載元アカウント


掲載記事


はじめに


ピアノ弾き語りラッパーセンチメンタル岡田と申します。

突然ですが、皆さまは、普段、「韻」について考えたことがあるでしょうか?

私はヒップホップという音楽ジャンルの技法のひとつである、韻をたくさん踏みながら、喋ったり歌ったりする「ラップ」という演芸を、3年ほど前から本格的にはじめました。

それ以前からも、「なんちゃってラップ」のような楽曲は作っていたのですが、数年前から、ちゃんとヒップホップを聴くようになり、それ以来、ヒップホップ以外の曲を聴くときも、「韻」に注目するようになりました。

その結果わかったことは、多くの外国語の楽曲は、ラップに限らず、韻を踏むものが多いということです(もちろん踏まないものもあります)。

全ての言語の音楽を聴いているわけではないのですが、spotifyのグローバルチャートの上位楽曲を聴くと、言語にかかわらず、韻を踏んでいるものが多いです。



世界中の音楽ファンが好んで聴く音楽が韻を踏む歌だとすると、韻を踏まないことが普通である日本語の大衆音楽は、逆に特殊なのではないかと思いはじめました。

これから、私の韻についての思いの丈をお話しさせていただきます。あくまで在野の韻研究家なので、偏った情報や私見が多いことをはじめにおことわりしておきます。


韻とは?



そもそも「韻を踏む」(踏韻、押韻、ライミング、またはライムとも言います)とはなんでしょうか?

とあるサイトでは、このように定義されていました。


"「韻を踏む」とは同じ発音の言葉を一定の配置で重ねること"

「韻を踏む|意味・使い方・ダジャレとの違い・韻の種類と例文・英語表現などを解説 | マナラボ」より引用


とてもざっくりいうと、フレーズの母音(子音)を揃えることです。

(厳密にいうと、それだけでもないのですが、それはまた別の機会に。)

下のフレーズを読んでみてください。

いんをふむ
ぴんとくる

アルファベットで記します。

in wo fu mu
pin to ku ru

子音と母音を分けて記します。

(i)n w(o) f(u) m(u)
p(i)n t(o) k(u) r(u)

母音が揃っていますね。
この2つのフレーズは、響きが近いということです。そんな言葉があるかはわかりませんが、仮にこれを「揃い韻」と呼ぶことにします。

響きが近いとどうなるか。口に出したとき、耳で聞いたとき、心地よかったり、印象に残りやすかったりします。
母音の揃いを強調してしゃべったり歌ったりすると、より効果が増します。

次のフレーズはどうでしょうか。

いんをふむ
ぶんをかく

アルファベットにします。

in wo fu mu
bun wo ka ku

子音と母音に分けます。

(i)n w(o) f(u) m(u)
b(u)n w(o) k(a) k(u)

(o)と(u)は同じですが、それ以外の母音は違いますね。仮に「不揃い韻」と呼ぶことにします。

ですが、上記の不揃い韻の2語でも、それぞれのおしりにくる「」と「」にアクセントを置いてしゃべったり歌ったりすると、韻を踏んだ感じになるはずです。

言葉のおしりで韻を踏むことを脚韻といいます。つまり、脚韻さえ踏めば、とりあえずはサマになるということです。


後者の例は、最後の一文字の母音だけを揃えればいいので、普段から作詞をしない方でも作りやすい韻文だと思います。

何がいいたいのかというと、韻を踏むのは難しいことではなく、誰にでもできるということです。

ただ、日本ではライムの概念自体があまり普及していません。

日本の大衆音楽におけるライミングの歴史



日本の大衆音楽にも、韻を大事にされている音楽家がたくさんいますが、まだまだ「歌における韻」を意識している音楽家/リスナーは少ないように思います。(2022年3月追記、最近はかなり増えてきたように思う)なぜなら、日本語の大衆音楽における「韻の歴史」が、あまりにも短いからです。

個人的な見解を申し上げますと、日本では佐野元春さんや桑田佳祐さんのソングライティングから「韻」が注目されはじめ、椎名林檎さん、岡村靖幸さん、中村一義さん、Mr.Childrenさんなどが中継し、米津玄師さん、official髭男dismさん、藤井風さんなどが継承していると、私の浅い音楽知識の中で考えてはいるのですが(この雑なJPOP史認識には色んな異論があると思いますが)そうだとすると、まだ韻の歴史が40年くらいしかないのです。

もちろん別軸で、日本のヒップホップ史が韻の普及に多大なる貢献をしているのは明らかですが、個人的なリスナー歴でいうとヒップホップ以外の音楽を聴いていた期間の方が長く、ちゃんと論じられる自信がないので、ここでは省かせていただきます。

日本のヒップホップと押韻の歴史については、下記のサイトに詳しく書かれています。

「ラッパーのマチーデフさんに聞く、日本語ラップの平成史(梅田カズヒコ) - 個人 - Yahoo!ニュース」「Rhyme Scheme(ライムスキーム)」


欧米の大衆音楽におけるライミングの歴史



アメリカのポピュラー音楽の歴史をみてみましょう。

およそ100年前の1925年に発表されたヒット曲"Dinah"(作詞 Sam M. Lewis & Joe Young )にライムがみられます。

Dinah-Eddie Cantor(spotify)



歌詞を見てみましょう。

Dinah
Is there anyone finer
In the state of Carolina?
If there is and you know her
Show her to me

Dinah
Got those Dixie eyes blazin'
How I love to sit and gazin'
To the eyes of Dinah Lee


簡単に解説しますと、

第1連は、
Dinah」「finer」「Carolina」「her」で韻を踏んでいます。

第2連は、
blazin'」gazin'」で韻を踏んでいます。

上の例を筆者は「近い韻」(クローズ・ライム)と呼んでいます。

さらに、第1連5行目の「me」と、
2段目4行目の「Lee」でも韻を踏んでいます。

こちらは、間に入る語が多いので、筆者は「遠い韻」(ファー・ライム)と呼んでいます。

この「近い韻」と「遠い韻」という概念は、私の、とあるHIP HOP好きの先輩が考えた概念です。

近い韻と遠い韻とを組み合わせることにより、より立体的なライミングワールドを構築することができます。

また、フランスでは、1924年に作られ、1930年にリリースされたヒット曲"Parlez-moi d'amour"の歌詞にもライミングがみられます。

というわけで、欧米では100年前の時点で、歌詞にライミングが用いられることは当たり前なのです。

この時代、日本にも洋楽としてジャズが輸入されました。ジャズの歌にはライムのあるものがたくさんあるのですが、それらが和訳されたとき、韻はほとんどの場合、再現されませんでした。

それでは、なぜ欧米の歌詞では昔から韻を踏むことが定着しているのでしょうか?ということについて、個人的な見解を述べさせていただきます。

欧米の大衆音楽でライミングが普及している理由(仮説)



欧米の音楽家がライミングを自然に用いることができる理由には、以下の、3つの要因があるのではないでしょうか。

1 童謡
2 教育
3 歴史


このことについて考えてみると、日本人が韻を意識しない理由も説明できます。

ひとつひとつ解説していきます。

童謡


英語圏で歌われている童謡(マザーグースとも呼ばれる)は、ライミングを用いた歌詞が多いです。

つまり、子どもの頃から、ライミングを用いた歌を聴き、自分でも歌っているから親しみがあるということです。

"Twinkle, Twinkle Little Star"という、日本では「きらきら星」としておなじみの曲の歌詞を見てみましょう。

Twinkle, twinkle, little star
How I wonder what you are
Up above the world so high
Like a diamond in the sky
Twinkle, twinkle little star
How I wonder what you are


1,2行目、5,6行目では「star」と「are」で、
3,4行目では「high」と「sky」で、脚韻を踏んでいますね。脚韻というのは、語尾で韻を踏むことです。

(語頭での踏韻を「頭韻」と言い、語の中間での踏韻を「中間韻」といいます。「中間韻」はラキムエミネムが多用します。)

この曲は18世紀から伝わるフランスの古いシャンソンが原曲なのですが、そちらの歌詞もみてみましょう。

Ah ! Vous dirais-je Maman
Ce qui cause mon tourment?
Papa veut que je raisonne
Comme une grande personne
Moi je dis que les bonbons
Valent mieux que la raison.


こちらも、1,2行目は「Maman」と「tourmemt」で韻を踏み、
3,4行目は「raisonne」と「personne」で韻を踏み、
5,6行目は「bonbons」と「raison」で韻を踏んでいます。

参考サイト: 「Ah! vous dirais-je, Maman フランス民謡 きらきら星の原曲」

これがフランスから英語圏に「輸入」された時に、メロディと共に「ライム」も輸入されているわけです。

ですが、みなさんが知っている日本語の歌詞は

きらきら ひかる(u)
おそらの ほしよ(o)
まばたき しては(a)
みんなを みてる(u)
きらきら ひかる(u)
おそらの ほしよ(o)
作詞:武鹿悦子さん


です。
わかりやすいように、各行末に母音を書いてみました。
とてもきれいな詞ですし、一致している韻もありますが、意図的なライミングとはいえないでしょう。しかし、この訳を「原曲の韻を再現してないから不自然」と思う日本人は、まずいません。

この例に限らず、前述したジャズの歌詞の和訳と同様に、外国語の民謡や童謡が日本に輸入されるときにはライムは無視されてしまうことが多いです。

なので、日本人が童謡によって子どものころから韻に親しむということはありません。

教育


英語圏では、小学校低学年の頃に、自分でオリジナルの韻を踏んだ文章を作る授業がある、というような話を、オーストラリア在住のHIROさんのpodcast「絵本で英会話」の中で聞きました。(どのエピソードで話していたかは忘れてしまいましたが、、)

podcast「絵本で英会話」


下記リンクの記事でも、日本のラッパーのZeebraさんが「欧米の幼児教育では同じ韻の単語を同時に覚えていく」とおっしゃっています。

「“韻”象的だったZeebraの授業『私の名前はアミ、ラップをさせたら私がカミ』/芸能ショナイ業務話 - SANSPO.COM(サンスポ)」より


調べてみると、こんな記事もありました。

下記リンクは在米邦人家族によるブログで、娘さんがライミングワードの勉強に取り組むことが書いてあります。

「アメリカの学校で必ず学ぶ~ Rhyming Word (ライミングワード) - アメリカ生活+子育てガイド」

こちらの記事から引用させていただくと、


アメリカの小学校では低学年のころに (Kindergarten ~ 2nd grade) Rhyming Word (ライミング ワード) の勉強をします。
同じ Rhyme (音) を持つ Word (単語) のことで、様々な英単語を同じ音を持つ仲間に分けて学びます。


とのことです。

小学校低学年の授業でやるのですから、子どもたちは嫌でも韻を意識することになります。

韻を踏むことばを知っていないと、進級できない!という感じでしょうか。なので、好むと好まざるに関わらず、幼少期に韻を意識するのです。

韻の代わりではないですが、わが国では国語の授業で短歌や俳句を学びます。

欧米で韻の教育を受けた方は、日本人が、俳句を作れと言われた時に、(上手い下手は別として)誰でも作ることができるのと同じようにライムを作ることができるということなのでしょう。

日本ではこのように、授業がなく、韻を知らなくても進級できるので、韻を意識しないまま大人になります。

(日本でもラッパーの方が小学校でライミングを教える授業があったら面白いですね)

というわけで、日本人にとってはライミングは、使いこなせるとスゴいけど、知らなくても問題なく生きていけるという意味では外国語のようなものなのかもしれません。

歴史


欧米の文学の歴史をみると、一定の形式をもたない散文が主流になっていくのは18世紀以降のことで、それまでは一定の形式とリズムをもち、ライムも用いられる韻文が中心でした。

特にフランスの詩には、ライムの技法ごとに「アレクサンドラン」や「アイアンブ」などの名前がついていたりして、高度な韻文学史の蓄積があります。

「アレクサンドラン」とは、12音節で規則的に脚韻を踏むというもので、これを日本語に置き換えて例えると、俳句の5,7,5という文字数のルールを守りながら、かつ韻も規則的に踏んでいくという感じでしょうか。

一例を挙げると、1637年のピエール・コルネイユとジャン・ラシーヌによる戯曲『ル・シッド』はアレクサンドランで構成されています。一部を抜粋します。

Nous partîmes cinq cents ; // mais par un prompt renfort
Nous nous vîmes trois mille // en arrivant au port


発音される音数のルールを守りながら、脚韻を踏んでいます。

文学の中心が散文になってからも、昔ながらのライムで詩作をする作家は常に一定数いました。

また、2015年には、アメリカで全編ラップのミュージカル「ハミルトン」が上演され、成功を収めました。新しい変わり種ミュージカルとの認識をもつ方もいるかもしれませんが、戯曲はもともとライムするものだという前提のもとでは、古典に回帰しているといえます。

ということで、欧米には、そういった、先人たちの何世紀にもわたるライムの積み重ねがあるのです。歴史の裏付けがあるからライムを誇れるのです。

日本でも、万葉集の時代までは、韻が文学における大事な要素だったようです。

いつ、何故それが失われてしまったのかはわかりませんが、日本の文学は、古事記からして散文なので、万葉集の時代以外は、歴史的に韻は重要な要素としてみられていないようです。

以上が私の、欧米の大衆音楽でライミングが普及している理由についての見解でした。 

そして今



ここまで欧米で韻が普及している理由と、日本で韻が普及しない理由について書いてみました。

他にも、日本語と外国語の言語としての特性の違いなどもありますが、そのあたりは上手に解説しているサイトがありましたのでここでは省きます。興味のある方は下記リンクを参照してみてください。

「日本語がラップに向いていない理由。日本語ラップはダサい?英語ラップとの違い|ねてないタイムズ(ひがな寝太郎のブログ)」

2018年、世界の音楽市場ではヒップホップの売り上げのシェアが、ロックを追い抜いて1位になりました。

それもあって、なのかはわかりませんが、日本でも、ラッパー以外でもラップやライムを歌に取り入れるミュージシャンや、ヒット曲が徐々に増えているように思います。

Official髭男dismさんの「Pretender」、米津玄師さんの「Lemon」も韻を踏んでいますし、あいみょんさんも韻を踏む曲があります。

すべてのヒット曲に韻があるという状況ではありませんが、作詞の技法としては定着しつつあるのではないでしょうか。

ラッパーでは、多様化する海外の最新のライムを上手に日本語化することのできる猛者がたくさんいらっしゃって、まさに群雄割拠です。

聴く側の耳もライムに慣れてきたのか、こと音楽に関しては、現在、我が国でも、急速に韻が普及してきているように思います。韻好き/韻フェチとしては、たいへん喜ばしいことです。

韻を使いこなす方が増えていくと、「こんな踏み方もあるのか」というバリエーションが増え、どんどん韻が進化していくでしょう。私はそれを見守り、かつ自分の曲作りにも活かしていきたいです。

日本人の文学者にも、海外の詩のライムに気づき、日本語でそれを再現しようと試みた方はいらっしゃったようですが、なかなか普及しませんでした。ある意味、そういった文学者たちが叶えられなかった夢を、いま日本のラッパーやシンガーが叶えていっているともいえるかもしれません。

長々と書いてきましたが、この記事を最後まで読んでいただいた皆様には、これから歌を聴くときに、それがなんの言語だろうと、韻を気にして聴いていただけますと私としては幸いです。そうしていただけますと、韻も喜びます。

このように私は、日々、韻について考え、韻に淫してINしており、もはやフォール・韻・ラブなのであります。

参考文献


文化系のためのヒップホップ入門(長谷川町蔵/大和田俊之)

おすすめYouTubeチャンネル

「Rhyme Scheme」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?