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ダイバーシティの一人歩き

多様性という概念が叫ばれ、みんな違ってみんないい、人それぞれの考え方を認め合おうというのが社会の風潮だ。それは大変結構なことだと思う。そして、僕はその意見に大賛成だ。それを大前提としてこれから意見を述べる。笑

それぞれの考え方、価値観、それがぶつかり合うことがある。「それはお互い認め合っていきましょう」ということは確かに正しいが、それが一人歩きしすぎていると僕は思う。

何も知ろうとしない、勉強しようともしない、ただ自分の生きてきた世界、感覚、その場の気持ちだけで物事を捉え、答えを出し(なんなら答えなんか出てない)、それを自分の価値観だ、考えだと主張したところで、それで有意義な「認め合い」が実現するのだろうか?

価値観とは、考えとは、信念そのものだ。何が正解かなんてわからない世界で、必死に考え、決断し、導き出したもの、それが「価値観、考え」だ。そしてそれは「信念」だと僕は考えている。

勉強しない人、考えない人の意見は首尾一貫していない。こっちではこう、でもこっちではそう、だ。そんな人たちが言う「価値観、考え」には「信念」がない。

信念がない人同士が何を認め合えるのだろうか。「認め合うこと」は大切だけれど、その前のプロセスを疎かにしていては、何も生まれないじゃないか。認め合うことを主張する前に、自分の意見を持つべきだ。誰かの価値観や考えに流されるのではなくて。

信念がないのなら、それはそれで僕はいいと思う。でも、信念がないのなら、「みんな違ってみんないいよね、ダイバーシティじゃん」みたいな言葉で簡単に済ますのは、僕はやめてほしいなと思う。だって、それって本当の意味で認め合えてなくないですか?

でも、もし信念があるのなら、とことん話をしましょう。そして認め合っていきましょう。

最後にもう一度言う。それぞれの価値観を認め合うことは本当に大切なことだと僕も思っている。でも、本当にそれを望む人は、皆信念を持っている。今あなたが主張するその「価値観、考え」に、どれくらいの信念があるのでしょうか?

そしてこんなことを話している僕は一体誰なのでしょうか?🧚‍♀️

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