見出し画像

遅刻理由の新項目

 とにかく遅刻癖が治らない。

 いや、治す気がないの方が表現としては適切かもしれない。この癖の原因は、中学や高校時代にある。その原因は「空間共有への拒絶」である。

 中学高校時代、友達が少なかった。それどころか、いじめに類似するような行為を受けていた。音楽室など、教室移動で先に到着すると筆箱がパクられて投げ飛ばされるといった具合である。仮にそこで「辞めて」と言ったら便乗するのが見えていたので、無視したがそれでも辞めなかった。そこで、なるべく同期といる時間を共有しない選択肢を採った。そうすれば、前述のような事柄がそもそも発生しない。相手も自分も何ともならない選択肢である。しかし、そのようなギリギリの行動をとったがために別の同期にドアをぶつけて骨折させた。謝るように促されたが、「怪我させたことに関しては謝ります」という謝り方だったので、以降クラス内での孤立は避けられなかった。

 高校に上がるとそれが常習化していった。大学の付属校だったから「自分は内部進学も推薦もAOもやらない」という理由で、遅刻に対して特に何とも思わなくなった。教員に謝りもしなかったと思う。謝る理由が見当たらないし、評定が悪くなってもダメージがない。そもそも遅刻しても誰にも迷惑かけていない。だから叱られる理由がわからなかった。

 高校生にもなると、前述のようないじめは減った。しかし一方で、自分の机にウェイが座って喋りあう光景を見るようになる。それも嫌だった。だが他クラスに行くと自分もそうするモラルの無さは否定できない。また、そんなことで嫌だという感情を伝えるほどの価値が彼らにはない。高校生になっても友人がクラスには少なかったので、ギリギリに登校して教室内にいる時間を減らした。それでも授業開始までのインターバルがあるのが苦痛だった。またテストや入試の際に、ペーパーが配られてから試験開始までの時間が何故か非常にイライラした。ここから徐々に「待つのが嫌い」という認識になっていく。

 高校卒業してからは、完全に「興味ない他人と時間の共有をしたくない」「待つのが嫌い」という思考になった。そのため、どこに行くのにもギリギリで行動するようになった。もっと言えば、遅刻もゼロではない。しかし大学がユルかった反面、遅刻でとがめられることはなかった。まあ遅刻するかしいないかの瀬戸際の行動が多いだけで、実際にはそこまでしないのかもしれない。大学に入っても、クラス制の講義での友人は少なかったし、結局「興味ない空間になるべくいたくない」という考えだけが主軸にある状況だった。

 ただ派遣のバイトではほとんどしなかった。理由は、説教という時間を共有したくなかったからである。むしろ職場では「ギリギリに来る奴」という認識さえされていた。派遣のくせに上下関係にうるさい会社では、新人は早く来るという風習があったがガン無視した。そのため上司からは「お前はいつもギリギリに来るな~」と言われたが、こっちが真っ当に話すほどの価値がないので軽く流した。

 バイトではしなかったから、このまま遅刻癖も治るだろうと考えていた。しかし、ギリギリに到着する技術だけ上達して本質的に何も変わっていない。大学4年間で身に着けた称号はギリギリマスターだけだと言っても過言ではない。むしろ、ギリギリに到着する自分自身に惚れ惚れする。ただプライベートは遅刻する/される回数が多いので、今回は視野に入れない。多すぎて相手が遅刻した時に読むための本をいつも持ち歩いている。

 遅刻嫌いのみなさん、どうか遅刻する理由に「空間共有への拒絶」の項目も検討してください。寝坊や電車の遅延や忘れ物だけじゃありません。世の中には、興味ない他人と共有する時間を減らす目的でギリギリで行動する、言わばギリギリでいつも生きていたいKAT-TUNみたいな人間もいるのです。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?