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立春帖

「実に見事だ」
親馬鹿に思えるかも知れないが息子の書は本当に秀逸だった。六歳の子供が書いたものとは思えなかった。
「今年はお前の書いた立春帖を門に貼ろう」
父の思わぬ賞賛に元春は
「ありがとうございます」
と元気に応えて平伏するのだった。
翌日、一人の士人が父を訪ねて来た。「北學議」等の著書がある楚亭朴斉家だった。
「こちらの立春帖を書かれたのはどなたでしょうか?」
舍廊房(書斎)に通された楚亭はさっそく訊ねた。
「うちの息子です」
こう答えた主人は元春を呼んだ。
部屋に入って来た元春は父親が言うままに楚亭に挨拶した。
「書といい立ち振る舞いといい、御子息は立派なものです。ぜひ御子息に学問を教授したいのですが如何でしょう」
楚亭の学識については、よく知っていた父は
「その年齢になりましたら是非お願いします」
と承諾したのだった。

翌年の立春帖も元春が書いた。
そして又書いた人物についての問い合わせがあった。今度は何と蔡宰相だった。
父親は鄭重にもてなした。
宰相は次のように告げた。
「御子息は名筆家になるかも知れませんが数奇な運命を歩むことになります。文章で身を立てるようになるのなら大人物になるでしょう」

その後、元春は楚亭のもとで学問を研鑽し科挙に合格して出仕し官職を歴任した。一方、様々な学問に精通するだけでなく、書家、画家としても名を上げるのだった。
秋史金正喜の名は清国や日本でも広く知れ渡ったのである。


書道の大家にして考証学等々でも実績を残した朝鮮王朝後期の士大夫・金正喜の子供時代のお話をもとに書いてみました。

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