SDGsについて思うこと

SDGs的なこと(別に内容的にはSGDsの話ではない)を書こうと思ったら、はるか昔に下書きだけしてあったのを発掘したから、ついでに上げておく。
今書いてるやつは、それはそれで後ほどあげますが。


世の中でSDGsが話題になるようになって数年経ったが、世界的な問題の解決どころか、いまだに困っている隣人に手を貸す人ですら多くないのが現代日本の実情である。
遠くの困った人を見て嘆くだけなら、せいぜい金を出し、こんな世の中は間違っていると言えば正義の側に立てるのだから楽である。
何も実際に自分の時間や体力を使って、よく知りもしない近くの人を救う理由など無いのだから。
質実剛健な良い物を作るより、クライアントに受けの良いものを作るほうが、よほどスピード感を持って世間で認められるというのは、世の常である。
悪貨とまでは言わないが目先の利益や正義は、たとえ正しい面があったとしても、本来残していくべき「ささやかで、ちょっとした良い物」を駆逐する。(勿論、それを超えて良いものは利権関係なく自然と残る強さがある
そして何より、数年から十数年で解決しようという考え方自体がおこがましく、短絡的で、成果にとらわれているように思えてならない。
今困っている人を救う、というのと本質的に問題を解決をする、というのは混同してはいけない。

17の目標についても、勿論良いことで解決すべきだと思うし、そのための手伝いをする気はあるが、起業がやるべき正義なのかというと、甚だ疑問である。
自国の国民、自社の社員との関係性すらまずうまく行っていないような上層部から降ってきた正義は、世間から避難されないためにやっているようにしか見えず、振りかざした正論は限りなく不誠実だと感じるのは私だけではないだろう。まずは自分の頭のハエを追うべきだ。

SDGsの理念を解決する為にやるべきは教育な気がする、というのは性善説が過ぎるだろうか。
本来なら義務教育以前の親から子へ教えるべき、人としての倫理みたいなものなのでは無いのか?と考えてしまうのは、現代日本の家族の形を過信しているのだろうか。


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