スプラトゥーン3を通して考える推しとの距離感

私のスプラトゥーン3のプレイ時間は、本日時点で2850時間らしい。
飽き性の自分にしてはまぁまぁやってるなと思う。
未だにイベントなどあれば半日くらいやってる時もあるのを考えると、時間つぶしとしては大変いい買い物だったなとしみじみする。
続いている理由は「ながら」でやっているからだろう。
仕事しながら、動画編集しながら、とりあえずスイッチを起動しておいて片手間でやっている。
一番の「ながら」は、友達と会話しながらスプラトゥーンしている事だろう。

スプラトゥーンは操作していて楽しいし、キャラクターは可愛いし、音楽もいいのだが何と言っても、死が軽いところがいい。続けている理由はそこにある。
何度死んでも試合に参加できるし、逆転だって狙える。
他のFPSだと一度死んだら終わりだったり、格闘ゲームのように一瞬も気を抜けない、みたいなものも少なくない。
もちろんこれは、僕はエンジョイ勢ひいてはカジュアルプレイヤーだからであって、ランク戦を頑張っている人はまた別なのだろうが。

そんなエンジョイ勢から見たスプラトゥーン3は、神ゲーといって差し支えないものとなっている。
ラグがあったり、かなり調整がおかしい武器やステージであっても、スプラトゥーン3をする上で何の障害もない。
フェスになるとフェスしか出来ないのや、普段オープンで好きなルールを好きな時間に遊べないのだって、歴代ずっとそんな感じの仕様だ。
なぜなら、スプラトゥーン3はそういうゲームだからだ。

株主総会でブチギレたり、制作者に対して脅迫文を送りつけたりする人たちは、あくまで数多ある遊びの一つでしかないテレビゲームを、真面目にやろうとするから心が荒んでいくんじゃないか?
会社に対しておかしいと思っていても、改善する為に動こうという気はない人が多い世の中、ゲームに対してもそのスタンスの人はかなり多いのではないだろうか。
なんなら趣味の話に関しては、あくまで制作側からお出しされたものを楽しむのが品位だとすら思う。
運営の判断が正しければ売上などの結果に出るし、ユーザーの声を無視して衰退したならそういう運命だっただけだ。

こうやって書いていて、僕のスプラトゥーンというゲームに対してのスタンスは「推し」なのかもしれないとふと感じた。
相手が出して来たものを楽しむ関係性であり、そこに逆はない。出来るのはせいぜいDLCに金を出すくらいだ。
そして、それで良いのだと思う。
我がこととして捉えたら、あまりにも問題がありすぎる。

推し活に限らず、教育でもなんでも、自分の思う形に相手を捻じ曲げようとする人は決して味方では無い。
「あなたの為を思って」は、これから詭弁を良いますよという合図でしかない。
世の中、特にインターネットで声が大きい人達の怒りは愛から生まれることも多いが、愛しさ余って憎さ100倍はあくまで人間の心に起きる現象であって、行動として正当化されて良いものではない。
何を大事にするかはその人次第だが、大事にされたか側にメリットがあるかは別の話だし、何より「正しい」を理由に価値観を他人に押し付けてはならないのだ。
「自分はこう思う」を大事にして、胸にしまっておくというのが格好いい大人なんじゃないだろうか。
どれだけ本気で考えたところで、ユーザーは公式の親でも友達でも無い、あくまで1消費者なのだから。


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