絵本、特撮、エロゲ。自分を救う御伽噺。

私自身にはあまり誇れるものの無い人生を送っているが、身の回りの環境や人には恵まれてきた。特に時代には恵まれたという自負が強くある。
昭和と比べれば激動とまではいかないが、日本が緩やかに、しかし大きな変化をしていった90年代に生まれ、エヴァの傷跡が深く残ったセカイ系文化まっただなかの00年代に中学、高校という多感な時期を過ごせたことは幸運だったと思うし、自分の中の芯となっている。
世界系の本質は肥大化した自意識などではなく、自分の半径1メートルを守るという切実な思いだ。
隣人を愛せよ。
隣人という言葉は、物理的な隣を指すわけでは無くなったが、それでもなお隣に居るという事がどれだけ大事なことか、テレワーク全盛の時代に今一度考えたい。(別に仕事論では無いです)

古くは神話の時代から、人は人と生きていくということを説かれてきた。

アニメの歴史でもガンダム位には、人は一人では生きられないと既に歌われている。
比喩でなく地球を覆うようにネットが発達し、SNSが栄えた今の時代それはさらに強くなっている。
インターネットが不可欠になったなった今、現実に帰れというメッセージはもはやネットから現実への回帰という意味では無い。ネットは現実の一部であり、ネットと現実という二元論自体が現実を正しく見ていない。

それでもなお同年代と比べて、ネットよりも現実に重きをおいている。
と、思う。
理由はシンプルにオタクだからだろう。アニメ、特撮、エロゲ、ラノベetc…
私の正義はそこにある。さらに根幹にあるのは絵本であり、童話であり、全ては御伽噺だ。

思いついたら書き足すスペース


普段は自戒、未来の自分の注意喚起に書いているこのnoteだが、今回は前を向く為に書いた。
現在、全世界的に大きな正義が横行している。
SDGsも、ニューノーマルも、基本的には母体の大きなメサイアコンプレックス的な正義だろう。(もちろん有益なのだから悪いことではない)
しかし私の思う正義は、目の前の人を救うことの延長上にある。
世界を救う英雄になるより、隣に居る人と手を繋ぎ、目の前の人の助けとなるヒーローになりたいと強く思っている。
ウルトラマンであるよりも先に、ハヤタ・シンでありたい。
そして、小市民としてはそれが正しいと信じたい。
これからも自分の中で思う正しいことの基準を無くさない為に。

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