結果を求めすぎる不幸

Twitterでこんなのが流れてきた。

この人には未来があり、またコメント返信を見る限り気力のある方のようなので、ぜひ無理せず、めげずに頑張っていただきたいと思う。
で、これを読んでいて思った事を自戒として残しておこうというのが今回の内容で、一言で言えば記事タイトルである。

この手の話は個人的なことから、社会的なことまで幅広く起きており、現代人はすこぶる科学信仰で生きているなと思う。
「〇〇をすれば、こうなるはずだ」という考え方だ。
勉強を頑張れば良い仕事につけると思うし、仕事を頑張れば評価をもらえると思うし、健康に気をつかえば死なないと思うし、愛を込めて接すればDV彼氏は変わってくれると思いこんで人間は生きている。

もちろん何事も努力しないよりした方がいいのだが、その際に「必ず」結果に繋がると思ってやると大抵はガッカリするだろう。
そして、それは場合によっては怒りになったり、悲しみになったりする。
現代人の精神的な問題点の一つは、そういった「結果ありきでしか努力する意味がない」と思っていることにある。
結果に繋がらない努力は徒労だし、無駄だし、なんの生産性もないと思ってしまう。

車輪の再発明を無駄の一言で切り捨ててしまう。
付き合えないなら、アプローチすることはない。
早回しで映画を見て、他人の書いた評価を読む。
他の人になんと言われようと、クソゲーを自分は楽しくプレイしたと胸を張って言うことはない。

それは何故か。
自分の経験や本質的な事よりも、他者と比べてどうかという方が大事だからだ。他の人と同じことや、他の人が通った道を今更通るということを、異常なまでに怖がっているからだ。
それは本当に心のまずしい話だと僕はどうしても思ってしまう。
今、世の中では多様性だなんだというが、本当に進めるべきは、他人がマイノリティなどの存在を許すかだけでなく、自分自身が自分の速度で進むことを許容できるようにするということの方だと常々思っている。
他人にいくら許容されたところで、自分が自分を許せないなら、それはきっと悲しいことだ。
周りにどれだけ「君はそのままでいいんだよ」と言われたって、本人がそう思えていない以上は、周りに対して敵対心を持ち続けるだろう。

違う生き物として生まれ、違う生き方をしていくしか無いのが人間だ。
これさえあれば周りより上に行けるのに、これさえ無ければ他の人と同じになれるのになどと思うことが、無い物ねだりを加速させる。
そういう無いものねだり、何かしらを獲得することが目標となった人間は、結果の出ないことを極端に恐れてしまう。
結果だけを求めていると、その過程で得られるそれ以外のものが無駄になってしまう。
目標をもつのも良い、急ぐ事や、他の人に勝つことが大事な時もあるだろう。
しかし、基本的には自分が歩む道そのものを楽しめる余裕を持って生きていきたいなと強く思う。



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