【試し読み】『現代日本の金融システム――パフォーマンス評価と展望』
バブルとその崩壊から不良債権問題、世界金融危機など、アップダウンを繰り返しつつ、30年にわたる長期停滞からの脱出を模索してきたわが国の金融システム。
『現代日本の金融システム――パフォーマンス評価と展望』(内田浩史 著)は、その半世紀を顧みることで、システムの何が機能し、何が足りなかったのかを明らかにする1冊です。
このnoteでは、特別に第1章「金融システムをどのように評価すべきか」の一部を公開いたします。ぜひご一読ください。
***
第1章 金融システムをどのように評価すべきか
1 これまでの金融システム評価の問題
日本の金融システムにはどのような問題があるのだろうか。今後の金融システムはどうあるべきなのだろうか。これからの金融システムの望ましいあり方を考えるために、これまでの金融システムをどのように評価し、将来に向けた示唆を得ればよいのだろうか。
金融システムが評価の俎上に載せられるのは、多くの場合、何らかの「問題」が発生している状況においてであろう。たとえば昨今では、「低金利・地方衰退の下での地域銀行のビジネスモデルの限界」「成長志向で高リスクのスタートアップ企業への資金提供の不足」などが日本の金融システムの問題として取り上げられ、金融システムにはたらきかける金融政策に関しても、「非伝統的金融政策の副作用」が指摘されている。また、時代を遡ると、「不良債権問題」「銀行危機」「資産価格バブル」といった問題も思い起こされる。他方で、日本では昔から「間接金融(銀行)依存の金融システム」が問題とされ、「貯蓄から投資へ」と資金の流れを変更する必要があるといわれてきた。
こうした「問題」は、その原因が追及され、問題を引き起こした(とされる)経済主体の行動や制度などが糾弾・批判され、対策が施される、という経過を辿ることが多い。しかし、こうした対策は往々にして表出した喫緊の問題に対するものに限られることが多く、その範囲も金融システムの特定部分に限られることが多い。金融システムのどの部分が、なぜ、どのような問題を起こしたのか、と客観的に考えてみると、一貫性のある対応が取られているとは限らない。
もちろん、こうした場当たり的な対処も、実務的にはある程度やむを得ない部分がある。喫緊の問題に緊急に対処しなければならない状況では、その問題に直接関わらない部分まで考慮している余裕はない。また、そもそも制度の変更は政治的なプロセスを経る必要があり、さまざまな利害を調整する必要がある。一度に大幅に変更することは難しいため、部分的な改善を積み重ねていかざるを得ない。
しかし、場当たり的な対症療法は往々にして近視眼的になりがちである。パッチワークの積み重ねはシステム内の不整合性を増し、かえって望ましくない結果を生む可能性がある。また情報通信技術の発展により情報が氾濫する現在では、目の前に現れる膨大な情報を処理するのに手いっぱいとなり、数年前のことですら顧みられることがなくなってきている。知らず知らずのうちにわれわれの見方はますます近視眼的になってきているが、その背後に、より根源的な問題が放置されている可能性はないだろうか。
2 望ましい金融システム評価の方法
こうした状況に陥ることなく金融システムのあり方を考えるためには、一歩引いた、客観的・中立的観点から、その全体像を長期的かつ包括的にとらえることが必要である。つまり、個別の問題だけでなくシステム全体の問題(システミック・プロブレム)も踏まえ、何が真の問題でありどのような対処が必要か、体系的な検討を行う必要がある。そのためにはシステムの全体像とそのはたらき、ならびにその問題を可視化し、理解するための枠組みが必要である。
こうした枠組みを示すためのアプローチの一つが、経済学の科学的アプローチである。ここでいう科学的アプローチとは、理論に基づいて現実をとらえ、その理論の妥当性をデータを用いて実証することで検証し、検証に耐えた理論から示唆・含意を得る、というアプローチである。近年注目されている、証拠に基づく政策形成(エビデンス・ベースト・ポリシーメイキング:Evidence-based policy making[EBPM])も、この考え方を土台としている。経済学は、こうしたアプローチに従うことによって、人々の経済活動や経済システムを理解するための枠組みを提供してくれる。
ただし、こうしたアプローチに基づく研究自体も、近年では近視眼的で視野が狭まる傾向にある。研究者同士が匿名で互いの論文を評価し、認められた論文のみが掲載され評価される、という現代の経済学のパラダイムにおいては、その時どきの学界あるいは研究者の関心事となっている特定のトピックをいかに綿密に掘り下げ、詳細なデータで検証するかが競われるが、このことにより金融システムの全体像や、過去の世代の研究との整合性が見過ごされがちである。金融システムはそもそも何のために存在するのかを、膨大な理論研究を統合して包括的に把握し、その機能が実際に発揮されているのかを検証した膨大な実証研究を展望し、足りない部分は補いながら、データや歴史に学ぶ必要がある。
3 本書のアプローチ
こうした問題意識に基づき、本書は、これからの日本の金融システムのあり方を検討するために、
⑴ 金融システムの評価を行うために必要な枠組みを示し、
⑵ その枠組みを踏まえて現代日本の金融システムの変遷を概観し、
⑶ 金融システムの機能が適切に発揮されてきたかどうかを評価した上で、
⑷ 将来に対する示唆を得る
ことを目的としている。こうした目的に向けて、本書には三つの疑問が通底している。第一の疑問は、「金融システムとはどのようなシステムか」である。そもそも金融システムは何のために存在するのか、その全体像はどのようなものかを明らかにしない限り、金融システムを適切に評価することは難しい。この第一の疑問に答えることで、「現代日本の金融システムは適切に機能を発揮したのか、どのような問題を起こしてきたのか」という第二の疑問にも答えることができる。こうした問題に対してどのような対処が行われてきたかを踏まえた上で、「今後の日本の金融システムはどのようにあるべきか」という第三の疑問への答えを探ることになる。
本書の分析対象は、現代の日本の金融システムである。具体的な射程は、1970年代後半以降、特に1980年代後半から2020年までとする。始点となる1970年代後半は、戦後の高度成長が終わった時期であり、また、さまざまな分析を可能とするデータが利用可能となった時期でもある。このうち、本書では特に、日本の金融システムに大きな問題が発生した1980年代後半からの時期に注目する。これに対して終点は、体系的に検討するためのデータや研究がある程度蓄積されているという理由、ならびに社会・経済状況が一変した新型コロナウイルス感染症の感染拡大よりも前の状況に注目するため、2020年までとする。こうした時期の金融システムに関する検討に基づき、今後の金融システムのあり方に対する示唆を得ることにしたい。
本書のアプローチの特徴は、
⑴ 理論に基づき、金融システムの全体像を踏まえ、適切な評価基準を設定すること
⑵ 部分最適ではなく、システムの全体像を意識した検討を行うこと
⑶ 近視眼的な評価に陥らないよう、長期的な視点から、歴史から学ぶこと
にある。また、理論はあくまで可能性(仮説)を示すものであることに留意し、
⑷ データを用いて検証した実証研究を踏まえて検討すること
で、机上の空論に陥らず、現実妥当性の高い評価を行うよう注意する。
このうち⑷に関してはより具体的に、
(ⅰ) 制度的な事実を踏まえ
(ⅱ) 各種統計から得られる実態を確認し
(ⅲ) 既存の実証分析(エビデンス)によって明らかになっている事実を整理する
ことにする。(ⅲ)の実証結果に関しては、近年の計量経済学の分析手法の発展を踏まえ、因果関係や内生性を考慮した識別が十分に行われているかどうか、といった観点から過去の実証研究の結果を再検討し、場合によってはより蓋然性が高いと考えられる新たな解釈に基づいて整理を行う場合もある(注1)。
他方で、日本の金融システムに関しては膨大な実証研究が行われてきているものの、いまだに明らかになっていない点も多い。特に、学界で注目されるトピックスは、いったん多くの研究が行われるとすでに「終わった」トピックスとして新規性を失い、現行の業績評価の対象から外れていくため、その後研究が行われないことが多い(注2)。また、そもそも日本では研究者の絶対数が不足していることから、カバーできていないトピックスも多い。そこで、本書では、
(ⅳ) エビデンスが示されていない部分についても、得られているエビデンスや関連するデータに基づき、行間を補って評価を行う
こととする。その半面、実証されておらず、データの裏づけにも乏しい単なる理論的推論には重きを置かない。
このような本書のアプローチは、学界が生み出す学術論文中心の研究成果と、学界以外から要請されている研究成果とのギャップを埋めようとするものである。現代の経済学は、精緻な理論分析と因果関係を特定するための緻密な実証分析を発展させ、ミクロレベルで信頼のおけるさまざまな知見を生み出している。
他方で上記の通り、その視点は狭く、示唆を求める学界外の要請に十分応えられるものではない。両者のギャップは容易に埋められるものではないが、筆者は本書のようなアプローチによって、ある程度埋められるのではないかと考えている。
こうしたアプローチを採るために必要なのは、膨大な研究成果を適切に評価し統合すること、その統合した結果を理論的な枠組みの中に適切に位置づけ、あるべき姿を描き出すことである。前者のためには高度な学術分析を理解する力とそれらを取りまとめる力が必要であり、後者のためには現実の金融システムに関する知識とともに、大局観あるいはビッグピクチャーを持ち、実現可能な政策等を構想する力が必要である。
このうち後者に関して筆者の頭に浮かぶのは、1980年代から90年代を中心として著された学術書、具体的には蠟山(1982)、池尾(1985, 1990)、館・蠟山編(1987)、貝塚・池尾(1992)などである。これらはその当時の金融システムの状況を踏まえ、多くの政策的課題に対し、学術的観点から示唆を示そうとした書籍である。また、学術的な記述は少ないものの、蠟山編著(2002)は政策当局の観点から著されたそうした書籍といえる。
しかし、こうした著作は近年の経済学の分析手法の発展以前に著されたものでもあり、理論的厳密さに欠けるとともに緻密なエビデンスに基づくものではない。こうした限界を克服した書籍としては、Hoshi and Kashyap(2001)(星・カシャップ[2006])が著されているが、その分析は2000年代以前に限られており、依拠する実証研究も薄い。本書は理論と実証のバランスを重視しながら、こうした研究の後を追おうとした研究といえる。
(注1) なお、日本の金融システム、特に金融政策に関しては、一般的な実証研究とは別に、政策効果等の将来予測を主眼とするシミュレーション分析も多数行われているが、本書のアプローチとは方向性が異なるため、本書では注目しない。
(注2) たとえば、いわゆる「メインバンク」に関する研究は、1990年代あたりまでは日本の高度成長やバブルを支えたシステムとして世界的に注目されたが、その後は日本経済の低迷や地位の低下とともに学界の関心から外れていった。このため、いまだに30年以上前の研究結果に基づいた議論が展開されることがある。
***
著者略歴
目次
書籍の詳細はこちらから