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【わかってる?】社会人が学ぶべきギャンブルと投資の違い

こんにちは。外資メーカー勤務25歳マンです。こよなく競馬を愛しています。

お金は増えたけど時間は減ったおれら

社会に放り出されたおれらは学生時代と比べ自由に使える金が増え、そして自由に使える時間は減りました。

そうなると人はどうなるか?

キャバクラ、風俗あるいはパチンコ、インカジなど、「金はかかるけど少ない時間で濃密な時を過ごせる」趣味へ興じる方も多いのでは?あるいは少し意識を高く持ち、株式投資やFXなどを勉強している方もいるんじゃないでしょーか。

かくいうおれも社会人2年目の春、当時の上司に連れられ春風吹きすさぶマカオ・サンズで30万負けました。

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投資とギャンブルの違い、わかってますか?

突然ですが下記AとBの発言を参照し、どちらがギャンブルでどちらが投資なのか、考えてみてください。

A.「今米国株とか軒並み下がってるしさあ、このタイミングでFacebookとかAmazonとか30万くらいの予算で株買っとこうと思うんだよね、とりあえず持っとくだけでも楽しいし」

B.「マジ150万くらいのロレックス欲しいんだよねー!今週の競馬、中京12Rにかなり自信あるから30万突っ込んで5倍にするわ!ガハハ!」



さて、99%の方が、「Aが投資家でBがアホすぎるギャンブラー」と考えたでしょう。Aはタイミングを見極めて株を買おうとしている賢者、Bはロレックスも得られず30万も失い誰からも愛されず一生を終える人間だと思われたに違いありません。

そう思われた方、断じて違います。Aは紛れもなくギャンブルであり、Bは間違いなく投資なのです。なぜなら、

「Aは単に株に30万突っ込んでいるだけ」であり、

「Bには競馬で30万を150万にするという目的があるから」です。

投資とギャンブルの違いとは、「金を投じるものが何か」ではなく、「金を投じる自分自身に目的(≒目標金額)があるか否か」の一点につきます。なぜなら株式でもFXでも先物でも宝くじでもパチンコでも競輪でも、確率(オッズ)に金を投じるという本質は変わらないからです。

なのでAは賢い「ギャンブル」でありBはバカな「投資」です。

Bがなぜバカなのかはもっと賢い人が解説してくれます。「ギャンブル 控除率」でGoogle先生に聞いてみてください。

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ギャンブルか投資か決めるのは自分自身

よくギャンブルはマイナスサムゲームであるとか、株式は会社の未来に投資するからプラスサムゲームだとか、胴元がいるものはギャンブルだとか、お偉いさんは仕組みで分類したがります。

が、おれの考えは違います。株やFXや先物取引だとしても、取引そのものを楽しみ、取引そのものが目的になっているのであれば、それはギャンブルです。そのBETがギャンブルか投資か決めるのは自分自身だと、深く心に刻んでおいてください。

なんで人はギャンブルにはまるのか

ギャンブルをやらない人からしてみれば、なんでパチンコ店に並ぶパチンカスがあんなに多いのか、川崎競馬場に向かう灰色のおっさんがあんなに多いのか、元大王製紙の井川意高が106億8000万もバカラで負けたのか、理解不能だと思います。「何が楽しいの?」って思いますよね?

ずばりいいます、ギャンブルからは人生で得られる歓びのほぼ全てを得ることができるからです。

「自己の承認欲求の充足」

「神に選ばれた人間だという全能感・高揚感」

「自分だけが勝ったかのような優越感」

テストで満点を取った時、告白が成功したとき、昇進したとき、大学に合格したとき、世界がバラ色に見えるあの感覚、言うなれば人生における蜜をギャンブルからは得られるからです。

人生がうまくいっている方は、日常生活から得られる歓びだけで十分に生きていけます。でも人生上手くいってる人、そーんなにいませんよね。そういう人の日常に、ギャンブルは薄めた麻薬のように歓びを与えてくれるのです。すげー!超賢いチャールズ・ブコウスキーもこう言っています。

しかしうんと短い時間の枠の中だけに限定すれば、とても短い、たとえば自分の馬が走って、それから勝利を収めるほんの一瞬。そこには何かがある。何かが起こるのがわかる。気持ちが高揚し、陶醉感に襲われる。馬たちが自分の言いつけどおりにしてくれる時、人生はほとんど会得されうるものとなる。-チャールズ・ブコウスキー『死をポケットに入れて』

おれらはどのように向き合うべきか

簡単です。何をするにも予算と出口を決めてください。

「Amazon(ティッカーシンボル:AMZN)が$1,954だから、$2,100まで上がるか、$1,850割ったら売り」

「今月の競馬は予算5万円。15万まで勝つか5万スッたらそこで終了」

人間はよくできていない不良品なので、埋没費用をあきらめること(=損切り)がなかなかできません。既に投じた費用を取り返したい・損を確定することが辛いんです。

しかし損切りこそが大成への1ステップなのです。天下のGoogleの歴史は損切りの歴史といっても過言ではありません。(Googleは沢山のサービスを華々しくスタートさせ、そして上手くいかないものをバッサバサクローズしてきたことで有名。)

損切りができるようになること、これがおれらの明日のステップです。

俺がどういう人間なのかは下記のnote読んでくださいね。


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