「私の原動力」 岩屋


岩屋です。
話下手なので、読みにくいかもしれませんが最後まで読んでくれたら嬉しいです。
今日は私が陸上をする原動力とそれを踏まえた今の自分について述べたいと思います。


でもその前に私の高校時代の話からします。

私は慶應女子高校出身で、女子高には陸上部はありませんでした。(鬼ごっこ部と呼ばれるものはありましたが笑)
そのため、部員は1人、一緒に頑張れる仲間がいませんでした。しかし、そんな状況でも中3の私はなぜだが走ることが大好きで陸上がやりたくて、高校入学した時に顧問の先生にお願いをして、大学競走部にお願いをして、なんとか日吉競技場を使わせていただけるようになりました。南関東大会に出たかった私は何が1番、南関東に近いかを考え、7種競技を選びました。
そして、大学生と一緒に練習を始めました。当時の私には大学生は(特に男性の方は)ちょっと怖い存在でしたが、話してみるととても優しかったです。
ただ、1年間練習してみて色々なことが見えてきました。

まず、大学生とは練習時間が違うのです。
大学生は皆さんご存知のように16時45分〜21時まで競技場を使えます。しかし、私は16時〜18時半という2時間半しか高校との約束で使えませんでした。そして、夏休みや春休みの期間も違うので一緒に練習するということが不可能だということがわかりました。

2つ目は大学生の練習は高校時代の走り込みがベースで技術練を行なっているということでした。高1の私は大した走り込みもしていない、筋力もない。だからいくら技術練習をしたところで土台がないから伸びるはずがない。そう感じてしまったのです。

3つ目は指導者がいないことです。
7種競技をするにはそれぞれを伸ばしていかなければいけない。しかし、中学で100と幅しかしていない私はほぼ独学で練習していました。それでは練習方法自体がよく分かりません。
もちろん大学生に教えてもらったものもあります。

100H→けいなさん
高跳び→しほりさん
やり→なぎさん
砲丸.幅跳び.200.800→独学

上3つの競技は、その人の動画を撮らせてもらい完コピしたので私は高と幅の踏切足が違います。
でも教えてもらってもよく分からないことの方が多くて、やはりある程度のところまでしかいけませんでした。


そして私には仲間がいない。一緒に練習をして、お互いを高め合える仲間がいない。そんな状況に高1の冬〜高2の春にかけて押しつぶされそうになり、それに加えて高2の夏に怪我をして1ヶ月ほど練習もできず、私の心の中はどん底に落ちました。陸上に触れたくなくなり、大好きだった陸上が嫌いになってしまう自分に怖くなり、色々な感情に押しつぶされました。そして陸上から離れました。2ヶ月くらい。練習も動画も一切見なかったです。

だけど、結局陸上を嫌いになれなかったんです。走っていないとつまらない。だから私は練習を再開し始めました。そんな時、偶然新たな指導者に出会うことが出来、その方のおかげで私は前を向くことができました。つきっきりで私を指導してくださる方でした。
高校3年生、南関東最後のチャンスです。高2の冬季練習はその指導者の元、南関東に出たい一心でひたすら練習に取り組み、ついに高3の春を迎えました。

シーズン初戦の試合で自己ベスト連発、これはいけるかもしれないと自分の意識を高めて都大会に挑みました。7種は4位以内に入れないと南関東にいけません。しかし私は5位でした。13点差で負けました。13点差って800mの1秒もないです。悔しくて悔しくて大泣きしました。今でも書いてて涙出てきそうになるほどです。何が悪かったのか、足りなかったのか自問自答したけどあそこで出すべきものは全て出し切ったと思います。

悔しかった。
だから私は強くなりたい。
強くなって関東に出たい。
カンカレに「7種」で出たい。
それだけの思いで大学でも陸上をやっています。「悔しさ」それが私の原動力です。


長くなってしまったので、次回にそれを踏まえた今の現状を書きます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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