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立正寺執務室

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宮崎市の立正寺で勤める僧侶として、そして研究所勤務で得た見識も使いながら、日々から生じる仏教記事を書けたらと思います。 たまにいい記事ができたら投げ銭的に有料記事にするかもしれま…
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#寺院

蓄積の一年

年の瀬の数日間、新年の準備をしながら、ずっと御首題を書いていた。実に100枚。 もっと書いている寺社もあるのだろうが、1人、かつ限られた日程で書いていたので、これが限界。 書き終えて、久々のnoteを書いてみようという気になった。というより放置し過ぎた。 色々立て込んでいるとはいえ、もう少し継続しなきゃならない。悪い癖。 令和2年(コロナ禍)で変わったこと令和2年は、言わずもがなコロナ禍で、制限のかかった一年だった。 昨年退職して、さあやるぞというところなのに、何という

寺院が「”叩けば”開かれる扉」であること

コロナ禍に始めたnote。 昨年末に退職してからというもの、コロナも含めて、含めなくてもですが、とにかく環境の変化が激しく、なかなか物事が継続しづらい状況です。 しばらく、noteの文章も書いていませんでした。 音声配信をやってみたりお茶を濁していたのですが、何かしら発信はしていきたいので、そろそろ文章も改めて書いていこうかなと思います。 なるべく継続させることを前提に、日記的な内容でも書いていこうかなと思います。 少し前ですが、月刊住職2020年7月号に寄稿していた、三

ひなたのこころ~幸田麻紀さん~伝統医学アーユルヴェーダ

私の記事では、「ひなたのこころ」(note内のマガジンにしていきます)として、実際にお会いした方、あるいはお会いしてはいないけど、その思いに強く共感している人などの記事を書いていきます。 神話の地で温泉地、宮崎県高原町へ宮崎市から高速と下道を車で走って1時間ほど、宮崎県の高原町(たかはるちょう)という町に私は足を運んでいました。 高原町といえば、いくつか特徴のある地です。   1つは、神話の地であること。高原町にある高千穂峰(たかちほのみね)が、いわゆる「天孫降臨の地」

コロナ禍の「高揚感」と刷り込まれる「罪悪感」~持つべきは「安心感」~

これは、自省も込めて書きます。 そして、いつもはなるべく典拠を明示するのですが、ほとんど主観で書きます。 「普通で居ること」で生じる罪悪感ある朝、テレビのニュースを観ていました。 いつ観ても、コロナの話題ばかりです。 コメンテーターとして出ていた、国際政治学者の三浦瑠麗さんが、こんなことを言っていたのが印象に残りました。 私の記憶なので、文言自体は正確ではないのですが、何となく趣旨を書きます。 ということを話していました。 特段、規制・自粛をやめようという意図ではないと