そして、親になる


~妊娠~
妊娠したことを妻から伝えられた時、本当に嬉しいのと同時にまだ、見た目には変化の無い妻の体の中に新しい命が宿っている事が少し実感の無い自分がいた。妊娠はお腹が大きくなっていく喜びを夫婦で感じていくものだと思っていたが、実際はお腹の大きさを実感する週数になるまで、妻は様々な事に気を配り家事と仕事をこなしていかなければならない現実があった。アルコール類、カフェイン類、生ものを一切口にせず少し空腹になれば食べづわりに苦しんでいた。何か間食を挟めばいいのだが、妊婦には体重管理も求められるためカロリーのないゼリーを持って仕事に向かう妻は以前より気丈に見えた。
父親は、我が子が生まれたときに父親としての実感を持つ人が多いのではないかと思う。一方で母親は妊娠が発覚した時から母親はとしての責務が生じる。そして、その責務がは『命を守る』という例えようの無い大きなものなのである。様々な制約と責任を負い約10月10日の日々を過ごして出産という大イベントを迎える母親と父親を考えてみると、もうこの時から父親と母親の育児に対する気持ちの強さは個人差があれど差が生じてしまっているのではなないかと思う。

~育児~
母親の苦労の末、無事父親となれた訳であるが育児は想像以上に大変でまた、想像以上の喜びがある。まず、驚きだったのが出産後身体的にも精神的にもボロボロな妻へいきなり慣れない育児がスタートした事だった。まだ、体力も十分に戻っていない妻へあれこれと育児の事を教えていく看護師を見て育児はもう始まっているのだと感じた。そして退院しまた怒濤の様な育児に追われる日々が待っていた。3時間毎の授乳はもちろんの事、昼夜の概念がまだない新生児は深夜でもお構いなしに泣く。その度におむつ替えや授乳、抱っこなど様々な事を行わなければならず、この時期は特に精神的にも体力的にも厳しいものであったのではないかと思う。
育児する妻の姿を見ていると『育児はジグソーパズル』というフレーズがぴったりではないかと思う。育児とは、日々我が子と向き合い正解のジグソーパズルをはめ込んでいく様なものであるからである。しかし、そのジグソーパズルは完成の形は分からずピース数は不明でしかし限りなく多く存在し月齢を重ねるごとに複雑になっていくというものである。
母親は日々1人で多くの選択を迫られている。泣き止まない我が子を見て病院に連れていくべきが、離乳食のメニューはどうするか、今の服装で暑すぎないか寒すぎないか挙げればきりがない。そうして、日々曖昧なジグソーパズルをゆっくり恐る恐るはめ込みながら日々、我が子と向き合っているのだ。
この1年間、父親としてまた、夫として出来る限り育児に家事に参加してきたつもりであるが妻の負担は私が負う以上であったと思う。
親と同居が減ってきた中で、妻を支える事を考えることは、とても大切であると感じた。妻を支えるといっても父親の置かれている状況は様々である。単身赴任や深夜までの残業などどうしようもない現実がある。そうした中で、妻を支えるとは心を離さないという事ではないかと思う。育児は孤独であるという中で唯一気兼ね無く話せるのは夫ではないだろうか。少し時間があれば、状況を伺う出来る家事をしてみる…。育児に対して夫の心が向いているという事がとても大切であると思う。私自身、まだまだ出来ていないことは沢山あるけど少しずつイクメンになろうと思った1年でした。

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