大ふへん者でありたい

まあ大いに不便しているし
まあ大ふへん者であるのでしょうが

自閉症らしいいい書き出しだな我ながら
説明文を書くと
慶次を打っていた時ふと現代において大いに不便している俺は大ふへん者だなあと思ったのだと説明になっていなさそうな説明をする

慶次のような生き方にはわりと憧れる
晴れやかにさっぱりと生きたいものだ
俺というのはぬめぬめどろどろして呪い妬み憎しみと
同じパチンコでいえばリングの貞子に近い性分なのだ

貞子の性格とかそんな知らんけどな

昨今のパチンコは節操がなくていけない
慶次もまあ速いだけでどうにも美しさに欠ける
まあ夜遅い時間は取り切れずが発生しないし
プレイヤーとしてはいいことでしかないのだが
パチンコを芸術と捉えたときにはやはりあまりに奥行きがないつくりなのはどうにもいただけないね

慶次の大男が死ぬやつはマジで泣けて好きなんだが
ああいうのもないし
なんかもっと芸術系のパチンコ打ちたいよ俺は
昔のニューギンは真花月とか俺の心を掴みに掴んだ
美しいパチが多かった。

「駆けるだけ駆けたら、死ぬさ」
いやあやっぱいい言葉だなあ
立つ鳥あとを濁さずというかキレイに死にたいもんだけどもねえ
安心してさ

でもどう考えても俺というやつは幽霊になって祟り殺しにくるタイプの人類だよなあ、貞子とかのほうがやっぱ共感できるものほんとうらめしいうらめしやですよほんと
スッキリしたものが好きなのは心がごちゃごちゃと煮立たっている裏返しかね、いやごちゃごちゃとした混沌も好きなのだけれど




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