見出し画像

Blessed-Cursed:そして僕らは0に戻る、全然 be all right (前編)

流行ってるんですね、Y2K

Blessed-CursedのMVで見てからというもの、世紀末感性としてファッションや音楽でも流行っているとの記事をよく目にするようになりました。
これまであまり意識してなかったから気づいていなかっただけで、実はいろんなところで流行っているみたいです、Y2K。

Y2Kとは元々はコンピューター用語で、2000年問題のこと。

簡単にまとめると、コンピューターシステム上で西暦の下2桁で処理されていた「年」が、1999年から2000年になる瞬間に「99」→「00」と見なされ、リセットされてしまうバグが起こるのでは?とされた問題のことです。

I hate "to be or not"
I don't want 0点の正解
All or Nothing 叫べ

ENHYPENのこれまでの歌詞にはずっと"100か0か"という極端な確率について触れられています。

この流れから見ると、彼らにとっては「Y2K」も、

"99からそのまま進んで100へといくのか"
"それとも99から00へリセットするのか"

という「100か0か」ということを表しているとも考えてもいいのではないでしょうか。

0に戻る、リセットするとはどういうことか

今回の考察では、「価値観のリセット」「自分自身をリセットして新しい自分になる」という2つの観点から見ていきたいと思います。

すべて私個人の見解ですので、そういう視点でみてもおもしろいなぁというくらいの温かい目で読んでいただけたら嬉しいです。

MAMAのスポの時に見えていたのも「99」だけ

祝福か呪いか

以前noteにも書きましたが、ENHYPENの世界観、HYBEの世界観には「世界の終末」や「善か悪か」という主題が根底にあるように感じています。

終末論とは、キリスト教に限らず、ユダヤ教やイスラム教、仏教、古代ケルトなど様々な文化や宗教で見られる思想で、いつか世界が終わりを迎えるという考え方です。
その終末を迎えた日に、救世主が人々に裁きを下し、善良な人と悪人を天国と地獄に振り分けるとされるのが「最後の審判」です。

最後の審判 / メムリンク

この時、天国へ送られるのが「祝福された人たち」
地獄へ送られるのが「呪われた者ども」

なのです。

EN O'CLOCK ep.24 「討論王」

イエス・キリストから見て右側は「祝福された人たち」左側は「呪われた者ども」で、それぞれ天国と地獄に落ちる様が描かれています。
英語の「right」が「右」と同時に「正しい」も意味するのはイエスの右側にいる人々が善良な人々を意味しているからです。

ミケランジェロ「最後の審判」が西洋美術における最高傑作の一つといわれる理由

西洋画で描かれる「最後の審判」で、天秤(balance)を使って人々の魂の善悪を計量するのは大天使ミカエル。モンサンミッシェルの尖塔にも大天使ミカエル像があることは知られています。

この振付も天秤に見えなくもない

I'm in paradise

Intro: Invitationでも歌われていたように、彼らはこれまで自分たちは天国にいると感じていました。

Yeah, feel like I'm in paradise

Paradiseの語源は「壁に囲われた」。
祝福されていると思っていた彼らは、実は壁に囲われた部屋=天国で踊っていたマリオネットにすぎなかったということなのでしょうか。

最後の審判で地獄へ送られるように判定された人達はどうなるのかというと、業火に投げ込まれ永遠の罰を受けるとされています。
さて、彼らがいるのは天国と地獄、一体どちらなのでしょう。

On my way

僕は行きたい、あっちに向かいたいんだ、絶対に

"I'm on my way."とは「(目的地に)向かっている途中」という意味。
"I wanna be on my way."ということは、彼らはどこかへと行きたがっていると取れます。

じゃあ今、彼らは天国だと思っていたところを抜け出し、地獄へ向かおうとしているのか?
いや、今までいたところが実は地獄で、天国へと向かおうとしているのか?
話はそう単純ではないような気がするのです。

チムジルバンの原型は炭や陶器を焼いた釜だそう

善と悪とは紙一重。
時代や文化、国、人が違えばそれぞれが何を正義とするかは異なります。
どの正義をもって善悪を測るのかで、善悪の見え方は変わってくるからです。自分が属している社会、属している立場によって、常識や価値観、倫理観も。

あっちの人から見れば善でも、こっちの人から見れば悪なんてことがざらに有り得るのです。
お互いがそれぞれ善しとする正義を振りかざしているので、この争いはとても複雑でややこしくなりがちです。SNSでよく見かけるような身近なものから、国と国との間で起こる深刻な問題まで…。
小さくても大きくても、この争いは人の命が関わるほどの危険性を孕んでいます。

ここで試してみたいことは、1度「ゼロに戻す」、自分の価値観を「リセット」してみるということ

スキュラという怪物のいる場所を通れば6人が喰われる、カリビュデュスという竜巻を通れば全員が助からない、さてどっちを通る?

物語の中では、オデュッセウスは被害の少ないスキュラの方を通りました。
できる限り最大の利益を得るために行動するという功利主義的な考えではこれは正しい選択なのかもしれません。

では、もし、愛する家族や仲間1人 or 見も知らぬ大勢の人でどちらを助けるか選ばないといけないとしたら?

すぐに"スキュラがいい"とは選択することができない難しい判断となりませんか?
多くの人の命を見捨てて、愛する人を救うことは正義なのか、悪なのか。
この例のように、自分の置かれている立場によって、物事の見え方はまるっきり変わってきませんか?

○○だったら△△しなければならない。
みんながやってるから□□するのは当然だ。

自分が善しとする価値観に合わない者はすべて罪人だ。
罪を犯した悪人は謝るべき、罰せられるべきだ。

果たしてそれは正しいのか?
自分の属している社会が作り出した価値観に囚われているのではないのか?

ENHYPENの世界観では、その価値観を1回リセットしてみようと教えてくれているように感じるのです。

哲学者ニーチェはそれを「大いなる正午」と呼ぶ

Intro:Whiteout

正午とは、太陽の光が真上から当たることによって「モノの影が一番短くなる時間帯」のことだと言える。で、「大いなる正午」とは、その正午をより極端化した状態。つまりは、「真上からの強烈な光によって物事がすみずみまで照らされ影が極端に短くなり、影そのものが消えてしまった状態」のこと。そういう情景を「大いなる正午」だとして頭に思い浮かべてみてほしい。
(中略)
「影が消える」とは象徴的な表現で、世界から「価値観」がすべてなくなった状況をあらわしているんだ。たとえば、善悪という価値観は、「これは善い」「あれは悪い」といった「明るい部分と暗い部分」すなわち「影が見える」からこそ、そういう判断ができるわけだよね。でも、それが強烈な光に照らされて、影の暗い部分がまったくなくなってしまったら……、もうどこが善いとも悪いとも言えなくなる。

最強のニーチェ入門 / 飲茶

正午の太陽の強烈な光で、真っ白に目が眩んだ状態。

それは今まで自分を縛り付けていた「○○しなければいけない」という価値観や常識、固定観念がゼロになり、色眼鏡の外れた「色のない世界」「真っ白な世界」と言えます。

ニーチェはまた、自由を獲得するために、自分を束縛する古い価値観に反抗し闘う精神を「獅子(ライオン)の精神」と呼んでいます。

ENHYPENは救世主?

Blessed-Cursedは「blue pill」という歌詞から、映画「マトリックス」の青い薬、赤い薬がモチーフでは?と言われています。

青い薬を選べば、今まで通り"(仮の)真実"=仮想現実に居続けることができる。
赤い薬を選べば、目を覚まして現実="真実の世界"を知ることができる。

マトリックスの元ネタは哲学者プラトンの「洞窟の比喩」とされています。自分が今まで真実だと思っていた世界が実は仮想現実(洞窟)=嘘で、外の世界(太陽)=真実を知るというストーリー。

映画「マトリックス」では、主人公ネオは「救世主」として描かれています。
映画における救世主の役割は三部作+新作を通して見ていただくとして、ここでは世界を救う救世主について考えてみます。

サルバドール・ムンディ/レオナルド・ダ・ヴィンチ他

救世主として描かれるキリストの決まり事の1つに、この右手のハンドサインがあります。
この意味はずばり「祝福」。
受胎告知で大天使ガブリエルがこのサインをしていることも。

ENHYPENのCONNECTポーズは、もちろん"二重螺旋の繋がり"という意味もあるとは思いますが、この救世主の右手の「祝福」と逆の手「呪い」を結んでいるようにも見えませんか?

彼らは最後の審判の時に人々を天国or地獄に振り分ける救世主ではなく、「ENHYPEN」という名前に込められているように、祝福-呪い、善-悪、真実-嘘、生-死など対立するもの、対極の世界をしっかりと結びつけ、「どっちでもいいんだよ」と繋げてくれるタイプの救世主・英雄(ヒーロー)として描かれているのではないか、そう思えるのです。

グローバルアーティストとして活躍していく彼ら。
歴史や文化や宗教によって様々な価値観をもったファンが世界中に存在します。

善か悪か、どちらかの判断は自分の価値観の押し付けにすぎない。
だからこそ、価値観をリセットして物事を見てみる。
真っ白なWhiteoutの状態から、自らの意思で情報を選び取り、自らの価値観を色付けていこう。

DIMENSION:DILLENMAではそういうことを伝えてくれているように感じています。

終末はすぐそこまで迫ってきている

2022年現在の地球。
実は、アメリカの科学者たちが創設している「終末時計」では、午前0時を地球滅亡の時間とすると残り時間はわずか"100秒"とされています(※補足2)。

米科学誌「原子力科学者会報(BAS)」は23日、地球滅亡までの時間を示す「終末時計」の針が昨年より20秒進んで残り100秒となり、1947年の開始以降、最も「終末」に近づいたと発表した。

核拡散や気候変動対策の遅れ、「サイバー空間における偽情報」の広がりを理由に挙げている。
(中略)
BASの委員会のジェリー・ブラウン元カリフォルニア州知事は、「超大国間の危険な対抗や敵意が、核をめぐる大失態を犯す可能性を高めている。気候変動はこの危機的状況を悪化させている。目を覚ますべき時があるのだとすれば、それは今だ」と述べた。

「終末時計」残り100秒、史上最短に 気候変動や核問題で / BBC NEWS JAPAN
(2000.1.24)

このnoteを少しずつ少しずつ書き溜めているまさにその最中にも、この終末時計の会見で懸念されていたような大きな国際問題が起き、毎日のように心の痛むニュースが続いています。

コンビニ美食会」ではマイ箸持参し、
DIMENSION:DILLENMAのカムバショーの賞金は
環境団体に寄付

今やSNSやゲーム、メタバースなど仮想現実空間を通して、個人が簡単に世界中の人と繋がることができる時代。
現実の世界で本当に起こっていること、仮想現実の中に溢れる情報から取捨選択して、"善と悪""真実と嘘"を見極めることは、ますます難しくなってくることでしょう。

You can make it right 全然 be all right

苦しく辛い地獄のような現実を送っている人にとっては、むしろ"作られた偽りの現実"に癒しを求め逃げたくなる人だって多いはずです。
目を背けたくなる真実だってたくさんあります。

「Always」は、"My way"を見失ってしまって、可能性が0%なくらいありえない"No way"な状況な人達にそっと寄り添ってくれる曲。

「Blessed-Cursed」では、真実の世界が天国だろうが地獄だろうが、Going my way!目を覚ませ!戦おう!自由を勝ち取ろう!!!と引っ張ってくれていた彼らが、「Always」ではまったく真逆で、辛い日だってあるよね、全然大丈夫。
You can make it right、"正しい"方向に軌道修正できるよ、そばにいるよと歌ってくれる。

人によってMy wayは異なる。
どっちに向かうのが正解かはわからない。
ただ、ここでも「いったんゼロになったっていいんだよ」と言ってくれている気がするのです。

かなり長々と大それた話を書いてしまいましたが…
じゃあ、私は一体何ができるのか?
具体的に何かやっているのか?
と聞かれると、何もやっていないと答えるしかないかもしれません。

ただ、知ろうとすることから始めてみようと思っています。相手を知ることが理解をするための1番の近道だと思うので。
あとは、ありきたりにはなりますが、誰にでも「愛」をもって接すること。
どんな正義にも、どんな悪にも勝てるのは、「LOVE=愛」なのではないでしょうか。

正解ではないとしても、つらつらと思うことを書いてみました。長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

「価値観をリセット」について書くだけでこんなに長くなってしまったので、「自分自身をリセット」についてはまた今度改めて後編で…。


(※補足1)
ニーチェの「大いなる正午」について書かれているのは「ツァラトゥストラはかく語りき」という本。
ニキが人生映画として選んだ「梨泰院クラス」の重要な場面(第15話)にも出てきます(映画じゃなくてドラマだけど…)。
ENHYPENの世界観と「梨泰院クラス」、どちらもベースにはニーチェの思想が深く関わっているように感じます。
「弱肉強食」と「ウォンブンス」、飼い慣らされた「奴隷道徳」、同じ人生を無限に繰り返す「永劫回帰」などなど…。ENHYPENだけでいえば、「アポロン(Given-Taken)とディオニュソス(Drunk-Dazed)」の対比についてもニーチェの思想です。
今度、"ENHYPENと梨泰院クラスとニーチェ"というテーマでまとめてみるのもおもしろいかもしれないですね。

(※補足2)
Netflixで公開されている映画「Don't look up」。
6ヶ月後に彗星が地球に衝突するということを発見し発表した科学者。だが、情報の氾濫する世界では大統領をはじめとして、誰も彼らの警告に耳を貸そうともしないという地球の終末を描いたブラックコメディ。
実は、監督は現実に起こっている「気候変動」という問題を「隕石衝突」に置き換えてストーリーを考えたそう。
実際、今の現実世界でも、科学者の「気候変動」に関する警告に対して「Don't look up」…ずっと見ないふりを続けているのではないか。
ユーモアある描写に笑いながらも、現実に起こっていることとして観てみると、あまりにもリアルすぎてとても背筋がぞっとする映画です。
天国(?)の描き方も、最後の審判、天国と地獄、善悪などの視点から観るとなかなかシュールで秀逸でおすすめです。

参考文献

※ 本文中下線部の語句には説明ページへの🔗リンクを貼っています。どうぞご参照ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?