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KEIMEMORY~東北に来て感じ取ったこと~

ここから下、東日本大震災について書いています。
見たくない方は記事を飛ばしてください。
写真は敢えて入れていません。


東日本大震災が発生して12年が経った。

自分が小学4年生の頃。
帰りの会の支度をしている最中に突然起こった。
覚えている。その時までは地震というものを
ちゃんと経験したことがなかった。
横に小刻みに揺れ始めたタイミングで
机の下に潜った。
その後も縦に強く突き上げるような
揺れ方もした時はあったけど、
揺れが収まったので、いつものような
揺りなんだろうなって思ってた。
先生たちがざわつき始めて、
大きい地震が起こったこと、
東北地方に津波が来るかもしれないことが
伝えられた。
その時、部屋についているテレビを先生がつけて
その様子に目を疑った。
次々となる地震速報に加えて、津波警報。
これでもかと言わんばかりに
日本を襲い続けている。
何が何だかわからなくて、
理解が追いついていなかった。
徐々に被害の全貌が明らかになるんだけど、
それは毎分毎秒ごとに拡大をし続けて、
規模感は増していくばかり。
そこから毎日ニュースは関連のもので溢れていて、最新の情報が常に更新されている。

すごくもどかしかった。

被災地の状況はニュースで見てわかっているのに、自分自身はテレビの前に座っているだけ。
何かできないかと考えていたけれど、
その何かする勇気が自分には全くなくて。
ずるずると時間は過ぎて、
当時行けなかったことの後悔も相まって行こうにも行けなくなってしまっていた。

だから今回の東北に訪れることは自分の中で
特別な意味があって、いまさら何ができるわけでもないかもしれないけど、
当時起こっていたことを日本人として知ることが
今できる最大のことなのだと思って来た。

途中のバイクのパンクのおかげで
足踏みしていけなくなった施設は
いくつかあるけど、行きたいと以前から思っていた『気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館』には
行くことができた。
当時の状況がそのままに残っているから
本当に痛々しい。
自分にある五感をフル稼働させて、
で感じ取ってきた。
これが現実に起こってしまうことなのか、
4階まで津波が来ることを誰が想像できるのか。
近くにあった当時の避難場所となっていた場所に
地域の人は逃げたけど、そこでは高さが足りず
全員流されてしまったらしい。
それが屋上から見えてしまう。

「早く逃げろよ」ではなくて
「早く一緒に逃げよう」と言えなかった後悔。
子供といたのに、
掴んでいた手を離してしまったことの後悔。
様々な展示品やビデオテープを見たけど、
全部見終わる頃には胸いっぱいになっていて息苦しくなっていた。

震災後の暮らしも大変だったみたいで、
聞いた人の話だと、家が流されてしまった人は
仮設住宅に一度住めるけど、
その後の家は自分で探さないといけなかった。
国からは月10万円の手当てはあるけど、
それも途中まででなんとかしないといけない状況下にいた。
なんとかできるもんなのかな。
どこまで本当なのかはわからないけど、厳しい生活は強いられていた。

なのにここにいる人たちは
みんな笑顔が本当に素敵。
一生癒えないはずの傷を負っているはずなのに
前を向いている。
復興のために立ち上がっている。
そんな人たちを見たらもっと毎日できることが
あるのではないかと思えるくらいに、
気づいたらこちらがパワーをもらっていた。
もっと毎日頑張ろう。

伝承館を残すことは
当時を思い出してしまうことと一緒。
それなのにそこにいる人は語り人として
後世に伝えていくためにボランティアをしている。心の底からの”ありがとうございます”を
伝えてこれた。一生に一回は行くべきだと思う。

自然は時には人の命を一瞬で奪うほど残酷で、
時には人間が非日常感を求めて壮大な景色に
心躍らせるような顔を見せる。
侮ってはいけないこと、
自然との付き合い方が重要だと強く感じた。

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