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ドラマチック家造り#1

家造りは突然に

僕は大学進学を期にこの地に移り住んだ。地元意識が強い土地柄、僕みたいな人は地元民と区別される。そりゃそうだ。顔つき、肌の色からしてここは日本でも独特の文化があり、それを大切にしている地域だ。そんな地で大学を卒業し、就職し、当時付き合っていた彼女と結婚した。子どもも授かった。

家がほしいと思ったのはそんな時期だった。今住んでいるアパートも最初は一人で住んでいた。結婚して、嫁さんと二人、子どもも授かって今では3人の子どもを授かり、家族は5人となり、手狭さに限界を感じていた。

「とりあえず」住宅展示場

家がほしいといっても何から手をつけて良いのかわからない。しかも、この土地に縁もゆかりもない僕と団地住まいだった妻。すぐに家なんて持てるわけがなかった。でも、なんとなく「いつか自分たちの家がほしいな」と思っていた。だから、とりあえず、長女が1歳くらいのときに、住宅展示場へ行ってみた。

そこは、いわゆるローコストハウスメーカーだったけど、この地では珍しい木造住宅だった。この地は気候的なのか、歴史的なのかわからないけど、コンクリート造が圧倒的に多い。木造住宅なんてほとんどない。でも、よそ者の僕にとっては木造のほうが慣れ親しんでいた。だから、木造への抵抗感はあまりなかった。

ハウスメーカーの営業さんから、いろんなことを教えてもらった。土地を探すのがとても大変なこと、自然災害が来ても木造住宅でも大丈夫なことなど。。。モデルハウスを見るのは夢が広がるし、こんなところで生活ができたらいいなーと思えた。ワクワクした。お金もどうせローンを組まないと買えないし、無理のない範囲で作れればよかった。

ついでに、もう一つ別のモデルハウスも行ってみた。こっちのハウスメーカーは、手が出ないほど高いと思った。しかも、案内してくれた人も別に売る気はなかった記憶しかない。僕の本気度がまだないことを察していたのかもしれない。だから、そこまで相手にしてもらえなかった。でも、作りとか間取りとかは僕も嫁さんもとても良い印象だった。理想だった。でも、すぐ諦めるつもりだった。一種の憧れだ。

確固たる決意があるわけでもなく、具体的なイメージや資金を用意しているわけでもない。ただ、漫然と、でも、少しづつ、お金をためて。それと同じくらい少しだけ、いろんな展示場とか住宅ローンの相談会とかに足を運んだ。こうやって、少しでも、動きを止めなかったことが、結果、5年越しの夢が叶おうとしている。


では、次回の「ドラマチック家造り」で会いましょう。

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