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反面教師の母から学んだ娘との良い関係を築くコツ

感謝祭の祝日も終わり、今日はホリデイ ウィークエンドの日曜日。
感謝祭のデイナーも全部予定していた通りに仕上がり、全員が喜んでくれて一安心。作りがいもあったというものだ。ターキーとスタッフィングはまだ残っているので主人が4日連続で食べている。私は、どんなに美味しくても好きなものでも2日続けて同じものを食べることは好きではない。主人は好きなものは何日続けて食べても構わない方だ。残ったターキーの残骸でターキーのブロスを作ったので冷凍庫に保存しておけばこれから長い冬の間にいつでも美味しいスープが作れる。これほど無駄なくターキーを堪能すればターキーも嬉しいだろう。

どの料理も美味しく出来上がったが、人により好みが違うので、覚書をしっかりメモをしておいて来年の献立を考えるときに役立てよう。スィートポテトが大好物な主人のために、今年は新しいレシピで挑戦したのだが、バターや香辛料を使って焼き上がってからマッシュしたものよりも、毎年作っている皮付きの焼いただけのスイートポテトのほうが主人の口に合うらしい。いわゆる焼きさつまいものようなものだ。来年は従来のシンプルなレシピに戻そう。

娘達は、今日お昼頃家を出てニューヨーク市内に帰っていった。今朝になって、娘がもう一泊したいと言い出してきた。私としては、あと何泊もさせてあげたい気持ちはやまやまだったけれど主人の返事は聞くまでもなくわかっていたので、娘達の気分を傷つけることのないように説明して予定通り今日帰ってもらった。いつも私は、娘と主人と両方の気持ちを思い遣り二人に挟まれて葛藤をする。主人にとって、娘達の犬を連れての泊まりがけは3泊4日が限界なのだ。彼は自分の生活のリズムが壊される事が好きではない。いつも自分が座っているソファーのスペースに犬が寝転んでいるのも好きではない。娘だけだったら良いが、彼女の婚約者と犬にまで気を使うのが彼としては苦痛なのだ。

主人なりに努力して指折り数えながら3泊4日をなんとか切り抜けてきたのは私の目にも明らかだった。娘達は、仕事とニューヨーク市内の雑踏を離れてのんびりとこの数日を山の家で私達夫婦と過ごし、家族団欒で楽しかったからあともう一泊したいという気持ちもよく理解できる。だが何でも潮時というものがある。おなごり惜しいうちに又会うのを楽しみにして別れるのが一番良いだろう。

色々な家族のパターンがあってどれが良いとか悪いとかの判断は他人にはできない。いつも機会があるたびに家族が集まって仲良く楽しくやっている家族もいれば、ほとんど付き合いを絶っている親子関係もある。夫婦関係もそうだが、家族も他の家族と絶対比較してはならない。娘の婚約者の母親は、テキサス州に住んでいるが、彼らがテキサスに行くときは旅費や滞在中の食事代などすべて負担するそうである。子供が持ちたい”良い親”の鏡のような人だ。私には、とても真似ができないし、しようとも思わない。家族といえどもある程度距離をおくのが良い関係を保てる秘訣だと私は思っている。決して甘え過ぎてもいけないし、期待し過ぎても苦しくなる。特に成人した子供は、経済的に独立させるべきだし、赤の他人だと思うくらいの心理的な距離があった方が良いと感じている。

現在の私と娘の関係は、私が自分の母親との関係とは異なったものだ。私は、地元の高校を卒業して東京の大学に進学してからアメリカに渡米するまで7年間ほど東京で一人暮らしをしていたが、正月やお盆にあまり帰省しようと思わなかった。帰省すれば母の愚痴や泣き言を聞いて楽しくないのがわかっていたので、自分を害から保護するために帰りたくなかったのだ。母は少しばかり頭の良い人だったから、父や周りの人達を小馬鹿にすることがあった。私は母の口からそれを聞くのが嫌だった。ある年の正月などは、私が静岡の実家に帰らなかったものだから母が電話で泣いてお正月ぐらいは帰ってくるように懇願したこともあったがそれでも帰らなかった。今思えば親不孝な娘だった。

私は、この経験があるので娘といるときはできるだけ泣き言、愚痴、人の悪口を娘には言わないように努めている。誰だって一緒にいて楽しければ、もっと会いたいと思うし、そうでなかったら距離を置きたいだろう。それが、実の母親であっても家族であってもである。
娘は、幼いころから他人のゴシップや悪口を言う人間ではなかった。多分それは、彼女の父親から譲り受けたものであろう。私が離婚した当初、一度元旦那の事を感情に任せて何か口走った事があるが、彼女はすぐさま私を遮ってこう言ったのだ。「マミー、そんなことは言わないで。ダデイは一度もマミーの悪口を言った事がないのに。いつもマミーは良い人だから優しくしなさいよ、と言っているのに。」そのとき私は、ハッとした。私は、一人の人間として母親として自分の未熟さが恥ずかしかった。

私の母を反面教師として娘とは、一緒にいて楽しい良い会話ができる関係を築いていきたい。娘からもっとお母さんと会いたい、もっと一緒にいたいと思ってもらいたい。ひょっとしたら私達の社会で良好な人間関係を築く事はそんなにすごく難しい努力は必要ではなく、ただ愚痴、泣き言、ゴシップ、悪口を言わないだけでも良いのかもしれない。

人生における教訓は身近なところに転がっている。複雑な味のするスィートポテトよりも素朴な、ただの焼き芋がいつの時代でも王道であるように、自然でほのかな甘さのある人間が誰からも長く愛されるゆえんであるように思う。




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